2016年7月号

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こんにちは、JH1CBX Masacoです!

ジメジメ、シトシト…のシーズンも、もうすぐ終わり。夏もすぐそこですね~! 6月は歌のイベントが立て続けにあってね、体力もお天気も!もって~! と願いつつ、駆け抜けました!

屋外のイベントが続いたのですが、私が歌う時間になると降っていた雨が奇跡的に止んだり、雲の切れ目から薄日が射したり…。今回もまた晴れの神様がニッコリ微笑んでくれて、新曲「むこう岸」がたくさんの皆様のもとへ旅立っていきました。アマチュア無線家の方もあちらこちらへ駆けつけてくださり、皆さんの波動を感じながら歌に込めて、いつもありがとうございます!

今月はいよいよ!「東海ハムの祭典」でのミニコンサート、そして「KANHAM」はミニコンサートとFB NEWSの活動・・・! 見かけたらぜひお声がけくださいね♪ そして「むせんのせかい」を歌声喫茶のように(笑)一緒に歌いたいなぁ♪ 各会場でもうすでにこんがり日焼けしたMasacoがお待ちしています♪

さて、今回の『Masacoの「むせんのせかい」~アイボールの旅~』は、6月下旬に東京都調布市にある電気通信大学の「UECコミュニケーションミュージアム」へお邪魔したときの模様を紹介しましょう。

第6回 「UECコミュニケーションミュージアム」を訪問!!


電気通信大学の正門前に到着。この日も雨に降られませんでした♪

東京都調布市にある電気通信大学は、1949(昭和24)年に創設された国立大学です。「UECコミュニケーションミュージアム」は1998年に歴史資料館としてオープンし、2008年に東10号館へ移転して現在の名称になったそうです。広い建物の中に7つの展示室が設けられているんですよ。


「UECコミュニケーションミュージアム」がある東10号館。屋上にはアマチュア無線用のアンテナがあり「電通大クラブ」JA1ZGPも使っているとのことです


東10号館の前にある「UECコミュニケーションミュージアム」の門標

ミュージアムの中を案内してくださったのは、電気通信大学 UECコミュニケーションミュージアム・元学術調査員の有澤豊志さん(JA4EDV)。長年にわたって同大学などで通信技術教育に携わったほか、1990年と1994年の2回「南極観測隊」の越冬隊員にも参加していらっしゃる方です。最初に有澤さんから、大学の歴史を教えていただきました。

この電気通信大学の創設は1949(昭和24)年です。その前身は1918(大正7)年に社団法人電信協会が創設した、モールス信号を使った無線通信のオペレーターや通信技術の指導者を養成する「無線電信講習所」がルーツなのだそうです。

1912(明治45)年4月に起きたタイタニック号の遭難事故が契機となり、1914年に主要国が会議を開いて「1914年の海上における人命の安全のための国際条約」を締結し、船舶に無線電信設備の備え付けが義務づけられるようになったそうです。

そのため無線電信ができるオペレーター(通信士)を船に乗せる必要が生じ、日本でも民間の通信士養成学校がいくつか誕生し、それらを統合したのが「無線電信講習所」なのだそうです。その後、1942(昭和17)年に逓信省(現在の総務省)の管轄になり、1948(昭和23)年に文部省(現在の文部科学省)に移管、その翌年に新制大学の「電気通信大学」となったそうです。それ以降も日本の無線通信をずっとリードし続け、通信士の教育も続けられてきました。

「昔は大学の敷地を歩くと、どこからともなくモールス信号が聞こえてくるような大学だったんですよ」と有澤さん。わあ、なんかいいなぁ♪ 秘密の暗号が飛び交ってるみたい! 「ツートトツー、ツートツートツー、ツーツーツーツー」←わかります?!(笑) そんな構内を歩いてみたかったなあ~。


説明をしてくださった有澤豊志さん。これは船舶通信用の衛星通信システム「インマルサット」のパラボラアンテナ。技術の進歩で次第に小型化していったことがわかります

電気通信大学の通信士教育が転機を迎えたのは1980年代。船舶用の衛星通信システムの「インマルサット」を利用した衛星電話が徐々に普及し、船と陸上の通信が容易になりました!!! そして船舶通信の主力だったモールス通信は、衛星通信やデジタル通信に移行して、モールス通信によるSOSが不要の時代に・・・(1999年1月)。そのため電気通信大学でも通信士養成のための科目は1998年頃までで終了したそうです。 その後2010年には電気通信学部は情報理工学部、電気通信学研究科は情報理工学研究科に改められました。

こうした長~い歴史があることから、UECコミュニケーションミュージアムには、無線電信講習所の時代から教育に使われてきた通信機器や、さまざまな企業や団体から寄贈された貴重な資料がたくさんあるんですって。

「さあMasacoさん、ご案内しますので見に行きましょう」ということで、第1展示室から順番に見せていただきまーす!

★第1展示室

最初は第1展示室。ここは「火花放電を利用した初期の無線機に始まって、大型の海上無線通信機、テレビ局で使用されていた大型のアナログTV放送用送信機など無線通信や放送の歴史を作ってきた様々な機器を展示しています」というコーナー。

まず見せていただいたのは、大正初期の瞬滅火花式送信機といった、電波を使った初期の送信機器。この頃はまだ真空管が実用になっていない時代で、モールス通信は「バチ、バチバチッ!」という音が飛び交う火花式のものだったそうです。通信士さんは大変やったろうなあ~。


瞬滅火花式送信機の実物。写真右の装置は真空管式送信機が普及するまでの間、明治末期から昭和初期まで多数の船舶局や陸上無線局で使われたそうですが、今はもうこの1台しか残っていないそうです

そして私が一番感動したのが、1960年代の模擬船舶無線局のコーナー。旧航海訓練所の練習船「日本丸」の主送信機2台をはじめ、全波受信機などがセットされていて、今でも電波を受信することができるんです。


1960年代の模擬船舶無線局のコーナー。受信機は今でもしっかり動作。韓国の海岸局が出している「CQ」を聴かせていただきました♪

「国際航海を行う旅客船には3名の通信士が乗船し24時間ワッチをしていますが、貨物船などでは通信士は2名から1名です。そうすると船舶の遭難通信で使われる中波500kHzを聴守できない時間帯が生じてしまいます。そこで緊急の通信が入ると自動的に大音量のベルで知らせてくれる“オートアラーム”(警急自動受信機)が導入されています。ちょっと実演してみましょう」

有澤さんはそうおっしゃると、オートアラームの受信機をONに。「遭難通信を行う船舶は、送信機を動作させ、船長の指示があればすぐに500kHzで“SOS”を打っても構わないのですが、余裕があれば4秒間キー(電鍵)を押し続け、1秒間休み、また4秒間押し続けるという操作を何度か繰り返します(約1分間程度)。そうすると、その電波を受信した付近の船舶のオートアラームが鳴り出すんです」


オートアラームの仕組みを説明する有澤さん。中央下がオートアラームの受信機。4秒間のキャリアを断続して受信すると、けたたましいベル(右上)が鳴り始めます

ジリリリリリ!!!! けたたましいベルが鳴り始めました。

「このベルは操舵室や通信士の寝室にもついているので、ベルが鳴ってすぐに通信室へ駆けつければ“SOS”を聞き逃さないというものです」

なるほど~、もの凄い知恵やわ~!!

そのほか、昔の船舶が「自分の現在位置」を知るために使われていたいろいろな受信設備(自動方向探知機、ロラン受信機、デッカ受信機、オメガ受信機)や、船舶と交信するための無線局(海岸局)で使われていた送信機も見せていただきました。


船舶に積まれたさまざまな受信機を展示。上段は船舶が現在位置を知るために用いた受信機で、右からロラン用(米国製)、ロラン用(国産)、デッカ用(国産)、オメガ用(国産)。GPSが普及したことで、日本では使われなくなってしまいました

あと、東京タワーに設置されていたという、テレビ局の送信機の実物や、アマチュア無線家にもおなじみの標準信号局「JJY」の制御信号発生装置など、お宝がゾクゾク~!! きっと「第1展示室だけで1日過ごせる」という無線好きの人も大勢いらっしゃる気がします♪


船舶と交信するための無線局(海岸局)で使われていた送信機。写真左は石巻漁業無線局(JFU)で使われていた短波送信機、右は長崎無線局(JOS)で使われていた中波483kHzの送信機です

東京タワーに設置されていた「テレビ朝日」のテレビジョン送信機。送信用の真空管(送信用蒸発冷却および強制空冷4極管)は「蒸発冷却」という特殊な冷却方式を採用していたそうです


アマチュア無線家にもおなじみ、標準電波局「JJY」が短波帯で送信していた時代の標準電波制御信号発生装置です

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Masacoの「むせんのせかい」~アイボールの旅~

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