2016年7月号

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JR6FC 大城重一さん

沖縄県糸満市から世界各国との通信を楽しんでいるJR6FC大城さん。小学校6年生の時に放送部で校内の放送設備の操作を担当したことがきっかけで電気や通信に興味を持った。中学校に入学後は3球ラジオの製作からスタート、電子工作はどんどんエスカレートして行き5球スーパーや短波受信機も作った。その頃は、学校から帰るとすぐに半田ごてを握る毎日であった。部品は那覇市内のパーツ屋まで買いに行ったという。

中学3年生頃からアマチュア無線に興味をもったが、当時糸満にはアマチュア局がなく、そのため先輩局からのアドバイスを受けることができなかった大城さんは、本などで独学で勉強し、高校2年生の時に第3級アマチュア無線技士の資格を取得した。米国統治下の当時の沖縄では、電信の試験科目のないクラス(当時の日本の電話級)がなく、一番下級の3級でも電気通信術(電信)の試験があった。合格後、大城さんは琉球政府発行で米国の高等弁務官のサインが入った無線従事者免許証を受領した。

それから送信機の製作を始め、ファイナルに2E26を使った入力10Wの送信機で開局申請を行い、高校3年生の時にKR8FCで開局した。受信機はスター製、アンテナはGPやZLスペシャルを使い、主に21MHzで日本とのQSOを楽しんだ。高校卒業後は東京の大学へ進学したが、東京に行くにもパスポートが必要、入国審査を通過しなければならない時代であり、沖縄で取得したアマチュア無線の免許は日本国内では認められなかった。そのため大城さんは東京で改めて電話級の国家試験を受験し、JR1のコールをもらって別の局を開局した。この頃は、室内に展開したワイヤーアンテナで21MHzや50MHzを楽しんいた。

大城さんが大学在学中の1972年5月15日、沖縄が日本に返還され、沖縄で開局したアマチュア局のコールサインがKR8FCからJR6FCに変更になった。もちろんこのコールサインで東京でも運用できることになり、さっそくJR6FC/1で運用を始めたが、「そんなコールがあるのか」とたびたび問われて、その説明に苦労したことを覚えている。

1974年、大学を卒業して沖縄電力に就職した大城さんは沖縄に戻った。すぐに沖縄での運用を再開し、その頃からDX通信に興味を持った。しかし、一匹狼的なDXハンティングではなかなか珍局の情報が入ってこずに困っていたところ、沖縄DXラジオクラブ(ODXRC)を知り入会したことで、先輩局や海外のブリテンなどを通してDXペディションの情報が入ってくるようになった。もちろん情報だけでなく、「いろいろ技術的なことを教えてもらうことができたのが収穫でした」と話す。

その後、東京転勤などで仕事が忙しい時期もあったが、継続してDXを追いかけ交信エンティティも着々と増えていった。沖縄からDXを狙う場合、本土と比べアフリカ方面とのQSOは地理的に有利であるが、北米、特にカリブ海との交信は大変苦労するという。本土の局が簡単にQSOしている局でも弱くて呼べなかったり、また聞こえても簡単にはJAのパイルが抜けないからだ。

また台風銀座の沖縄では、台風時期になると正確な台風情報の収集が欠かせず、大城さんは主に米軍発表の台風情報を参照している。台風が接近する前には、八木アンテナは屋根の上に完全に下ろし、さらにワイヤーアンテナも下ろしている。台風が毎週来る場合などは、その度の上げ下ろしが大変だという。


大城さんの現在のアンテナ群。
ビームアンテナはタワーエレベーターでいつでも下ろせるようにしてある。

それでも、過去には、風速70m/sの台風で14MHzの5エレ八木が同軸ケーブルまで引きちぎって倒壊したり、別の台風では屋上に設置した4エレデュアルバンダーがタワーもろとも倒壊したことも経験した。「台風被害のリスク回避のため大型のアンテナはあげられません」と話す。

ただし、沖縄からだと本土からでは滅多にオープンしない特有の伝搬があり、そのような伝搬では、パイルもなく簡単に珍局と交信できることがある。たとえばハイバンドでの夜間のロングパスによる中米やカリブ海方面などである。これらの伝搬では、沖縄の局のQSOが終わってしまうと、日本からはもう誰も呼ばなくなってしまうとのことだ。

2013年10月、大城さんはDXCCのラストワンとなったセーブル島のCY0PとのQSOをもって、ついに念願だったDXCCトップオブオナーロールメンバーになった。このときは台風のまっただ中だったが、「アンテナを屋根から3m高くらいのところで、北米向けに固定した状態でなんとかQSOできました。その台風は勢力が少し弱かったのが幸いでした」と当時を思い出して話す。その後は、DXCCチャレンジに力を入れ、今は1.8MHz~50MHzのオールバンドでのDXハンティングを楽しんでいる。同時にODXRCの会長も引き受け、沖縄のDX愛好家全体のアクテビティの向上にも務めている。


DXCCチャレンジのため、ローバンドにも力を入れている。
これは1.8MHz用自作逆L型アンテナのマッチングセクション。

大城さんは、「人は人との良き関わりの中で楽しみや、やりがいや、生きがいを見つけるものと思います。私はこれまで、ローカルの先輩方と良い巡り会いをし、彼らがアマチュア無線に向かう姿を見て、良いところは真似て、自分の今の無線スタイルとなっています。私の人生の中で大きなウエイトを占めている無線を今後もライフワークとしてやっていくつもりです。そのため無線以外の趣味はあえて作らないことにしています」と話す。

このコーナーでは、アマチュア無線の様々な楽しみ方に挑戦するハム(アマチュア無線家)を紹介します。
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