2014年6月号

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連載記事

防災とアマチュア無線

防災士 中澤哲也

第4回 米国のアマチュア無線における「非常通信」

大変興味深い資料がWEB上にあります。昭和5年(1930年)12月に当時の逓信省電務局業務課が「外国無線電信無線電話制度調査資料」を作成しています。この調査資料には当時の主要国のアマチュア無線に関する主たる法律が日本語で収録されています。


(国立国会図書館ウェブサイトより)

そこにはアメリカ合衆国改正「アマチュア」無線規則(1930年4月5日より施行)が収録されています。


(国立国会図書館ウェブサイトより)

その中には訳語として非常通信という言葉は見出せませんが、「緊急」という訳語はあります。

第3条 行われるべき業務の性質に関する規定
第1(省略)
第2「アマチュア」局は之と同種の局とのみ通信を行うべきものとす。緊急の場合又は試験の目的のためには商業局又は官設局と通信を行う事を得(以下省略)

(注:現代仮名遣いは筆者)


(国立国会図書館ウェブサイトより)

また、上記調査資料には、“天災地変に際しアメリカ合衆国の陸軍通信隊と「アマチュア」無線との通信連絡組織”というARRLの会誌であるQST1929年3月号の記事と、同じくQST1930年8月号の“天災地変に際しアメリカ合衆国の海軍予備通信隊及赤十字社立アマチュア無線局との無線連絡通信組織”という記事が翻訳収録されています。これらが当時船便しか入手方法が無かった事を考えると、日本に到着後遅滞なく翻訳され1930年12月に担当官庁で資料化されている、ということであり、海外の情報を収集、分析し、可能であれば活用しようとしていたのであろう担当官庁の姿勢には目をみはるものがあります。


(国立国会図書館ウェブサイトより)


(国立国会図書館ウェブサイトより)


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ここにある陸軍通信隊との連絡組織は原文では“The Army-Amateur Radio System”(AARS)と称されるもので、現在の“Military Auxiliary Radio System”(MARS)の前身となるものです。この組織は平時と戦時の両方に機能するよう陸軍通信隊とARRLとで1925年に形成されたものです。

他方、海軍予備通信隊及び赤十字社立アマチュア無線局との無線連絡通信組織と称されるものは、海軍予備通信隊員であるアマチュア無線家と赤十字が主に災害時における連絡網を構成するもので、災害状況を予め定められた区域を統括する赤十字拠点に急報することになっています。


(国立国会図書館ウェブサイトより)


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米国の歴史をみると、1917年に第一次世界大戦に参戦しています。このことから近代の戦時における通信の重要性を早くから認識し、そのために通信網の形成に力を注いでいたもの、と考えられます。

ただ、上記2つの枠組みを比較すれば、後者はQST記事の副題に、“Instructions Drafted for Emergency Communication in Disasters” とあるのが着目すべき点だと思います。

ところで米国では、アマチュア無線家の団体として、日本のJARL(一般社団法人日本アマチュア無線連盟)に相当する団体で1914年に設立され、今年設立100周年を迎えた“ARRL”American Radio Relay League があります。この名称に“Relay”の語があることがたいへん興味深いところです。ARRLが設立された1914年当時の技術では米国東海岸から西海岸まで直接交信するなど夢の夢であり、100km、200km先と通信するにも「中継」が不可欠であり、これより「中継」の文言が入ったのかと想像できますが、非常時緊急時も踏まえてのことであったのかどうかについては記録や資料を追いかければ正確に確認可能と思われますが、ここではこの程度にしておきます。

前掲のAARSが1925年に形成された、ということでその当時の事情を知るためにARRLの機関誌であるQSTを読み進むと、これまた興味深い記事がありました。

“QRR” Re: Railroad Emergency

このようなタイトルです。


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1925年(大正14年)の記事には、(ARRLの)ロッキー山脈支部が民間鉄道会社であるペンシルバニア鉄道と、またニューヨークセントラル鉄道との協定として新たなQ符合としてQRRを、鉄道事故(緊急事態)発生を知らせる符合と決めた、とあります。また、その使用例もその記事にあります。

少し米国の鉄道事情をお話しますと日本でいう私鉄、鉄道事業会社がそれぞれの路線を接続し、運転を行うスタイルです。シカゴやセントルイスが東西の接続点となり、そこで乗り換えるスタイルで上記の2社が東部の2大勢力だったようです。ロッキー山脈はその当時はまだトンネルで抜けることなく、標高3000mの地点を越えていました。勾配を小さくするため、くねくねと線路配置し何時間もかけて越える「難所」で、デンバーリオグランデ(ウエスタン)鉄道もアッチソントピカアンドサンタフェ鉄道もこのような難所を越え、ロッキー山脈以東と西海岸との間を運行していました。その当時の路線の安全性や車両性能はさておき、天候悪化時にはそのような難所ではしばしば運行の障害となる事態が発生したであろう事は容易に想像できます。

米国が参戦した第一次世界大戦の終戦年である1918年、米国といえども戦争の影響があったのか、この年の半年間に米国内で3件の列車事故が発生し、300名近い人命が失われています。その記憶がまだ消え去らない1924年には、英国ランカシャー州レイサムで死者14名を出す列車事故が発生しています。

当時の米国の世情は今以上に英国の影響をうけたであろうと想像できますから、その翌年の1925年に“QRR”を鉄道事故(緊急事態)発生を知らせる符合を決めた動きに至ったのかと推測できます。しかし、なぜリオグランデやサンダフェではなくペンシルバニアとニューヨークセントラルが相手となったのかは、短時間では調べがつきません。

念のため書き添えますが、現在の“QRR”にはこのような意味はなく、全く別の意味で定められています。

今回、1925年という時代に着目して書き進めていますが、それ以前にも今日でいう「非常通信」、「緊急通信」はあったと想像できます。しかし、時代背景による非常事態、災害被災時のアマチュア無線家への世間の期待や要求、またアマチュア無線家自身の認識について考慮すれば、過去に遡っても参考にならないのではないか、と考え、1925年を一つの区切りとしています。

1925年から当時のQSTを読み進むと、1926年11月号にフロリダの非常事態についての記事がありました。“AMATEURS HELP IN FLORIDA EMERGENCY”というタイトルの記事です。


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この記事は“The Communications Department”というページにある記事で、いつどこで?という記載が全くありません。(おそらくQSTのこのコラムの読者は承知のこと、として開催がないのかもしれません。前掲の“天災地変に際しアメリカ合衆国の陸軍通信隊と「アマチュア」無線との通信連絡組織”の記事中に『「フロリダ」ノ暴風雨』とあるので、言うまでもなく知られている、という事だったのかもしれません) 調べてみると1926年9月18日にフロリダに来襲した“Great Miami Hurricane”というカテゴリー4(最大瞬間風速60m級)のハリケーンの被害に直面したときの状況が記載されています。このハリケーンの被害は、人的被害は死者372名、行方不明者800名以上、とフロリダ州危機管理局のこの災害の81周年に関する書面にありました。

このQSTの記事を要約すれば、フロリダ半島に敷設されていたWestern Union電話会社の電話はハリケーンにより不通。また停電、電話電報もだめになり、隔離状態となり、マイアミ地区が最も被害甚大で、安否確認、被害情報収集のために全米のアマチュア無線家がたちあがった、とあります。

マイアミのアマチュア無線家4KJ(当時米国ではアマチュア局のコールサインにW、K、Nなどのプリフィックスがありませんでした)が南ジャクソンビル(400km以上離れている)の4HZと7メガで交信し、この2局間で1時間ごとのスケジュール交信を行いました。その中には郡保安官からフロリダ州知事に宛てた公式な軍への救援要請もあります。マイアミ市民の救援のため、この2局間では政府や赤十字からの伝達が行われました。ひどい雑音(熱帯性空電:マイアミは北緯25度。日本では宮古島あたり)に電文が消されそうになりながらも重要かつ至急の大量の通信が行われました。

セントオーガスティン(ジャクソンビルの数十km南)の4SBは救援隊に同行しマイアミ入りし現地の軍司令部から運用。タンパ(距離的にはマイアミ:ジャクソンビルの中間付近)の4IZZは4KJと4HZのスケジュール交信のワッチに努めた。フロリダからは前掲の4HZ、4KJのほかに4PI、4PU、NRRG(海軍予備通信隊局?)、4FS、4SBが運用。北部からは4RM、2UO、4HU、2CXL、WIZ(陸軍局?)、その他が運用。NRRGと4AAHは海軍局と協力し救援情報を取扱い、4VSは赤十字本部から運用。このほかにテネシー州メンフィスの4CU、コロラド州デンバーの9CAAと9DKM、ニューオリンズの5LE、5QJ、5UK、シカゴの9AAW、ウィスコンシン州マジソンの9EK、と全米の各局がこの事態に取り組んだことが分かります。

地名は地図を見て確かめていただきたいのですが、フロリダと一口にいってもマイアミとジャクソンビル間だけ見ても東京大阪間を優に凌ぐ距離があり、ニューオリンズやメンフィスはまだしも、デンバーに至ってはマイアミから数千キロ離れており、このような距離を通信するにはそれ相応の設備と技量がなければ困難であったろうと想像できます。

また、この非常通信(緊急通信)については陸海軍もアマチュア局の交信に従事していたことが分かります。加えて新聞社への(からの)情報の伝達がなされていたことも分かります。尚、QST 1927年1月号では、このときの4HZの活躍に海軍提督から礼状(「感状」に相当する単語は記事中では使われてない)が届けられた事が紹介されています。それによると、4HZを運用した人物は海軍予備通信隊隊員であった、とあります。

QST 1927年4月号では”Amateur Co-operation in San Diego Emergency”と題し、同年2月16日に発生した集中豪雨による災害についてサンディエゴ周辺のアマチュア無線家が共同して非常通信を実施したとあります。ここで注目したいのは2つの「教訓」が示されています。

教訓
1. 周波数 昼間波と夜間波とを考慮しているか(7メガ帯だけでなく3.5メガ帯も必要)
2. 非常用(予備)電源を確保しているか

1つは周波数、2つは非常用電源です。昼間波としては7メガが使いやすいのですが、夜間はスキップしてしまうので、3.5メガを夜間波として用いる趣旨の記載があります。非常用(予備)電源は、バッテリーのみならず、エンジン発電機についても言及されています。

今日ローカルの通信にはV/UHFの周波数が、モービル機やハンディ機を多くの方が所有されているので操作の容易性、利便性を考慮すれば優位なものと理解できます。しかし、地方間の連絡、情報収集、あるいは地方内通信が資機材他の理由で困難な場合に地方をまたいで中継地を設けて行う場合などは、HFが有効なのは読者のみなさんもご理解の通りです。この2つの教訓は現代でも多いに通用する教訓ではないか、と考えます。

時代背景を別にして米国はその国土も広く、自然災害発生についての地理的要因、また人口密度の高い都市部と、その逆に何マイルも先に「隣家」があるような人口密度の低い地域も多くある住環境の問題など、日本と国情が異なる部分があり、そのためにアマチュア無線の黎明期であっても非常通信への取り組みに注力されるものがある、と考えられます。

以上のように、今回は米国のアマチュア無線における「非常通信」について見てきました。米国の状況についてはまだまだ皆様に知っていただきたい内容が残っています。次回も引き続き米国のアマチュア無線における非常通信についてまとめる予定です。

参考資料
QST記事については、“QST VIEW 1915-1929”、“QST VIEW 1930-1939”共に©1996 American Radio Relay Leagueより転載。

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