2014年2月号

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連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その11 米国で日本人にも免許 1975年

日本人にも免許で湧く米国

米国在住の日本人ハムにとって待ちに待った米国での免許が得られることになった。この喜びは今回掲載する人たちのレポートから読み取れるが、先月号のK2VZ岩瀬有増氏の記事にも関連して、ニューヨーク在住のN2JA塚本葵氏が、メールで当時の事情を次のように寄せてくれた。

「法律改正は1974年ですが、法律改正ですぐに施行になるわけでなく、それに関した規則改正などが必要でそれが施行になったのが1975年なのです。その時に前年の法改正を受けて外国人条項がはずされたと言っていましたので。それを受けてW1AWのブリテンが出され施行1週間後に受験したので、多少の時期のズレがあっても1974年というのは信じ難いことです。小生の最初の免許証は残っていません(Extraは1975年8月です)が、3月には運用していたのは間違いありません。それ以前は少なくともNYでは受験もできなかったのは事実です。それ以前も確か1年ぐらい前から市民権がなくてもその手続き中であれば認められるようにはなっていたと思います。また、FCCは連邦政府ですので地域による大幅な差があることは考えられません。」

1975年 (米国 WB2ZRQ, WB6MBB, WA6DYG, WA6GOS)

ニューヨーク在住のN2JA(WB2ZRQ, NY2ITU, AB2ZRQ)塚本葵氏(写真1)から、当時の状況を含めて次のような報告を頂いた。「米国での最初の免許獲得は1975年3月でした(写真2)。それまでは免許資格として米国市民権が必要条件だったのです。1974年秋の法改正で撤去され、それが施行されたとの情報がARRLからだされ、その1週間後にFCCのNY支部で受験しました。その情報が伝達されておらず、申請用紙にかきこんだところ受験資格がないと拒否され、FCCの本省に確認を依頼ようやく認められたのを覚えています。アンテナはアパートのベランダにだしたホイップでした。その1ケ月後Advanceに、8月にはExtraに昇格しましたが、コールサインはWB2ZRQそのままでした(写真3の左)。同じ米国にいる日本人ハムとのQSOはその半年後で、1975年の秋にK2VZの岩瀬さんでした。CWでもありお互いに名前を交換してひょっとして日本人?と確認しあったのです。まさか日本人とは思わなかったのでしょう。その後間もなくお互いに日本人とわかり、長いお付き合いをさせてもらいました。


写真1. (左)N2JA塚本葵氏(1980年代)と、(右)N2JA塚本葵氏のQSLカード


写真2. (左)WB2ZRQ塚本葵氏のQSLカードと、(右)WB2ZRQに届いた1975年3月23日のQSOに対するYU2QZからのQSLカード


写真3. (左) WB2ZRQ塚本葵氏の1975年8月8日付けのEXTRA級の免許状と、(右)NY2ITU塚本葵氏宛てに届いた1976年5月16日のQSOに対する4U8ITUからのQSLカード

1975年の秋にはトランシーバとモービルホイップを持参してホテルの窓に取り付けカリフォルニアやラスベガスなどから運用していました。1975年にはRTTY、当時珍しかったデジタルCWもやっていましたが、モニターはモトローラの普通のテレビを改造したものでした。すべてホイップでCWでの運用が大半でしたがそれでも200カントリーぐらいとQSOできました。1976年5月にはITU週間で特別コールNY2ITUを運用し(写真3の右)、同じ年は米国の200年記念としてAB2ZRQのコールでも運用しました。1977年頃に現在のN2JAになりました。(2013年11月記)」

当時米国西海岸に住んでいて、いち早く受験されたJA3USA(WB6MBB, KF6FS, WA3USA)島本正敬氏(写真4)からは、当時の状況を次のように報告頂いた。「1975年に、FCCのルールが変更されて外国人が米国で免許を受けることができるようになりました。1974年から米国に住んでいる時でしたから、それまでに、外国人が免許を取れないことに対して何とかならないかと、Goldwater等に手紙を書いたりしていました。それを知っているハムがいて、上記の法律変更が行われることをいち早く僕に知らせてくれました。法律が施行されるとすぐ試験を受けようと、San FranciscoのFCCに行ったのですが、米国籍か米国籍を取得する宣言を行ったものだけしか受験資格がないと言われたので、法律改正の話をすると調べてくれて、受験することができました。それで得たコールがWB6MBBです。そんなときでしたから、法律改正後免許を取得した外国人第一号かもしれません。


写真4. (左) デイトンハムベンションにてJA3USA(WB6MBB, KF6FS, WA3USA)島本正敬氏(右から2人目)、右端は筆者、左側はKF8N, Bill Snyder氏とKB8VA純子Snyderさんご夫妻(1988年)と、(右)WA3USA島本正敬氏のQSLカード

しばらくして、KH6DQ夫妻がSFに来られたのでホテルに会いに行くと、そこに山本さんがいました。彼は法律改正のことを知りませんでしたので、それを教えてあげると、しばらくしてSFのFCCに試験を受けに来ることになりました。前夜確か僕の家に泊まったと思います。その後、同様にJA1FBD、JA1BRKがSFのFCCで試験を受けましたが、彼らも僕の家から僕の車でFCCへ行きました。僕は1976年10月には帰国しましたので、彼らはそれまでに免許を取っていました。

1974年の法律改正以前も、米国籍でない人が免許を取得しています。前述しましたが、永住権を持ち、裁判所で米国籍を取得する意思があるという宣誓をすると免許を取得する権利が生じました。山本さんも僕も永住権を取得していましたが、米国人になるという嘘の宣誓を趣味のためにはできないということで、無線を断念していました。(2013年11月記)」

上記島本正敬氏から事情を聞いたという、カリフォルニア州に在住のJA2CUY(WA6DYG, KD6IH, W6ZEN)山本善暉氏(写真5)からは、当時の驚きや喜びを次のように報告頂いた。「どこに行こうが暮らそうが、人の情けとハム根性、アーーァ波を出したい。10年間は辛かった。忘れもしない1975年バッタリ会ったが当時のWB6MBB(JA3USA)島本OM。エー!貴方日本人?・・・ウン、本当に日本人?・・・・本当・・・・ウッソーー!?!? だって日本人はライセンス取れないでしょう?・・・トレル・・・本当に取れる?・・・ホントニ、トレル・・全く取れる?・・・、マッタク トレル・・・・てな具合で。フルエル手でCWの送受にパス。ゼネラルとアドヴァンスのペーパーテストになんとかパス。確か受験料は$3.00だった。希望コールサインにK6CUYと書いて金$20.00を送ったががコールは売れていた。$20は戻らないのが建前。WA6DYGというコールが来た。その後ライセンス別にコールサインの形式が変わる時で2 x 2のKD6IHに変更、現在に至る(筆者注:2014年現在はW6ZEN)。長い間の関係各局の努力のおかげで相互運用協定が日米間に出来た現在、日本での米国人ハムがスムーズに免許されることを望んでいます。日本人ハムは既に10年間米国において米国人ハムと同等の活動を許されてきたのですから。(1985年10月記 - 1987年3月追記)」


写真5. (左) KD6IH(WA6DYG, JA2CUY)山本善暉氏(1980年代) と、(右) KD6IH山本善暉氏のシャックにて、山本氏(左)と筆者(1980年代)

同じく、米国で島本正敬氏から事情を聞いたというJA1BRK(WA6GOS, KE6DI, W1BRK)米村太刀夫氏(写真6)からも、当時の状況を報告頂いた。「島本さんからアメリカの国籍が無くてもFCCの試験が受けられるとの情報で、私もSFのFCCフィールドオフィスでGeneralとAdvanceを一日で受けました。最初に13WPMのモールスの受信テストを受けて、それに合格すると送信のテストがありました。1975年のことだったのでしょうか? GeneralとAdvanceの試験は各50問でした。FCCのアマチュア無線の試験は必ず一番下の資格であるNoviceから受けなければならないのに、我々外国人はいきなりGeneralからだったのが不思議です。多分FCCの職員は、我々が日本でライセンスを持っていることでNoviceをスキップさせたのだと思います。しばらくするとWA6GOSのコールが来てAdvanceは2x2のコールがもらえることになりKE6DIになりました。その後VE制度が始まり日本でExtraを受験して、バニティーコールでW1BRKのコールを取得し今に至っています。(2013年11月記)」


写真6. (左)米国NJ州のクラブの会合にてN2ATF小林巌氏(左)と会話中のJA1BRK(WA6GOS, KE6DI, W1BRK)米村太刀夫氏(1985年)と、(右)NJ州のN2ATTのシャックにて、左からN2ATF小林巌氏、JA1BRK米村太刀夫氏、N2AIR岩倉襄氏、N2ATT筆者(1985年)

1975年 (カナダ WB2ZRQ/VE3)

ニューヨーク在住のN2JA塚本葵氏から、当時カナダでの移動運用について報告を頂いた。「1975年の3月に米国でWB2ZRQのコールを獲得。ニューヨーク市からオンエアをはじめましたが、出張旅行の際にもトランシーバとモービルホイップを持参してホテルの窓にアンテナを取り付けロスアンジェルス、ラスベガスなどから運用していました。カナダからでも運用ができると知り、1975年5月に免許を得て(写真7)、9月にオタワからWB2ZRQ/VE3として運用しました。カナダ税関で取り調べにあい、保税扱いで持ち出しを認められたのが乗り換えの時間の数分前、荷物を預ける時間もなくリグを大きなカートを借りゲートまで走りました。ホテルの窓にホイップを取り付けオンエア。著名な日系人ハムの大御所KH6IJのノセOMとQSO。日本人と知ってびっくりしたとのカードを頂き大切にしています(写真8)。その後もトロント、オタワ、モントリオールからオンエア。モントリオールでは当時カナダの大学に留学されていたVE2GCO/JH3OII中村さんともお会いしました。すべてホイップアンテナで、CWでの運用が大半でした。(2013年11月記)」ここに出てきたVE2GCO/JH3OII中村さんは、1977年に米国で受験しWB1EZIに、それを元にしたWB1EZI/VE2の運用許可を得、1980年に法の改正後カナダで受験してVE2GCOの免許を得ておられる。


写真7. WB2ZRQ/VE3塚本葵氏の免許状(1975年発行)の表と裏


写真8. (左)WB2ZRQ/VE3塚本葵氏が1975年に受け取った、KH6IJ野瀬氏からのQSLカードと、(右)その裏面に書かれた野瀬氏からのメッセージ

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