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子供の無線教室 ~電波のフシギをやさしく学ぼう~

第2回 「電波の発見と利用の歴史」

月刊FBニュース編集部

1月から始まった「子供の無線教室」は、小学生のみんなに電波や無線のことを知ってもらうための入門講座だ。前回は「電波ってなあに?」というテーマで、電波の誕生や特徴を簡単に紹介したぞ。復習しておいてね。

電波の発見と実用への歩み

さて、いまや私たちの生活に欠かせない電波だけれど、それを発見したり、広く利用できるように研究したりしたのはどんな人たちだろう。今回はそうした電波の歴史を紹介していこう。

電波がまだ発見されていなかった1864(文久4)年、それまでに発見されていた電気や磁気の法則を研究した結果、「この世の中には“電波(電磁波)”というものがあるはずだ!」と世界で初めて予言したのはイギリスの理論物理学者、マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831~1879)だ。予言は「マクスウェルの方程式(ほうていしき)」としてまとめられた。1864年というと日本はまだ江戸時代で、新撰組(しんせんぐみ)が活躍していた頃なんだ。

マクスウェルの予言から24年後の1888(明治21)年、マクスウェルの方程式などをもとに、さまざまな実験を繰り返し、初めて「電波」というものを発見したのが、ドイツの物理学者のヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz、1857~1894)だ。

今、無線の世界では、周波数(電波が1秒間にどれぐらい振動<プラスとマイナスの入れ替わり>するかの数値)を表すときに「50ヘルツ」とか「594キロヘルツ」といったように“ヘルツ(Hz)”という単位が使われているけれど、これは物理学者ヘルツの功績を讃(たた)えたものなんだよ。

昔は、遠く離れた人に連絡するには、飛脚や馬車などを使って手紙を送るか、見晴らしの良い場所で旗を振るなどの方法が使われていた。それが1800年代半ばになると電気を電線に流して、電気の断続で信号を送る「モールス通信」が始まり、1866(慶応2)年には、早くもアメリカとヨーロッパの間に海底通信ケーブルが完成しているんだ。


1854(嘉永7)年にアメリカ使節のペリー提督(ていとく)が徳川幕府へ献上した、有線式のエンボッシング・モールス電信機。ペリーはこの電信機に電池や電線をつないで日本でも通信実験を行った。
今は国の重要文化財に指定されている

でも、電線を使った通信だと、電線がまだ引かれていない地域に連絡をしたり、太平洋や大西洋を航行中の船と急いで連絡を取ったりすることは難しかった。また最初の頃は技術が進化していなかったため、1つの通信相手に対して1本の電線が必要で、通信費用も高額になっていたらしい。

そこで発見されたばかりの電波を使って「もっと手軽に遠距離の通信を行えるようにしたい。きっとビジネスになるぞ!」と研究し、モールス符号による無線通信を実用化させたのがイタリアの発明家、マルコーニ(Guglielmo Marconi、1874~1937)だ。

マルコーニは1895(明治28)年、電波を使って1.5km離れた場所との交信に成功。それから通信機材やアンテナの改良を続けて交信距離を少しずつ伸ばし、1897(明治30)年に無線通信会社を設立。1901(明治34)年12月にはついにアメリカとヨーロッパの大西洋横断通信にも成功したんだ。

1912(明治45)年に大西洋で氷山に衝突して沈没した豪華客船「タイタニック号」にもマルコーニの通信会社のスタッフが乗り込んでいて、船に搭載された無線機を使って、救助を求める「SOS」の信号を発信したんだ。


イギリスの豪華客船「タイタニック号」。開発されて間もない無線機器を搭載し、
船体には長いアンテナを張っていた。1912年4月14日、北大西洋上で氷山に衝突して沈没。
その際に救助を求める「SOS」の無線通信が行われた

こうして20世紀に入ると、無線は一気に広がっていく。電波を使って一般の人たちにニュースや音楽などを伝える「ラジオ放送」は、1920(大正9)年にアメリカで始まった。そして1925(大正14)年には日本でも始まった。

またテレビ放送は日本の研究が世界をリードして、なんと1926(昭和元)年には電子式(ブラウン管式)テレビの実験に成功したんだ。ただ、日本でのテレビ放送の正式スタートは1953(昭和28)年で、アメリカやヨーロッパより少し遅くなってしまった。


1946(昭和21)年にアメリカで作られた初期のテレビ受信機(静岡大学 高柳記念未来技術創造館所蔵)

アマチュア無線の始まりは?

電波の研究が進み、無線が情報を遠くへ送るのに便利だとわかると、今度は「自分も電波を出して実験してみたい」という人が続々と現れた。これがアマチュア無線の始まりなんだ。

アメリカでは1902(明治35)年頃から個人で交信実験をする人が現れ、日本でも1922年頃から電波を出す人が現れ始めた。初期の時代はまだ、個人が電波を出すことについて、「良い」とも「悪い」とも法律に書かれていなかった。

個人で無線通信の実験をする人たちが集まって、組織を作る動きも出てきた。アメリカでは1914(大正3)年に「The American Radio Relay League(ARRL)」が設立。日本は1926(大正15)年に「日本アマチュア無線連盟(JARL)」が誕生した。

その後、日本では1927(昭和2)年に個人の実験局開設が正式に認められた。アマチュア無線家はだんだん増えていき、第二次大戦で一時中断したけれど、戦後にはアマチュア無線局の数が世界一になっていくんだ。このあたりのお話はまた別の回に紹介しよう。

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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