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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その89 20世紀末までのあと7年分 1993年(11)
「あの人は今 (第14回)」JA6EGL三宅正司氏

JA3AER 荒川泰蔵

20世紀末までのあと7年分

この「海外運用の先駆者達」の記事の連載を始めて7年余りが経過し、既に1965年から1993年までの29年間に海外で運用された方々の記事を掲載させて頂きました。副題の20世紀としては、残すところ1994年から2000年までの7年間になります。最初のプロローグで説明させて頂いたように、CQ ham radio誌の1985年8月号から1999年1月号に掲載させて頂いた「日本人による海外運用」の記事の為に寄せて頂いたアンケートを掘り起こして、CQ誌では紹介しきれなかった記事も、原則全数紹介させて頂こうと頑張っています。このFBニュースの記事をご覧になって、自分も20世紀に海外で運用したと情報を寄せて下さった方もおられ、掲載中の年代の間に合えば、それも紹介させて頂いています。来月号から1994年の運用記事になり、20世紀末まではあと7年分になりますが、もしその時期の海外運用の情報を寄せて頂ける方がおられましたら、筆者(ja3aer@jarl.com)までお知らせ下さい。尚、今月の「あの人は今 (第14回)」は、JA6EGL三宅正司氏の紹介です。

1993年 (マーシャル諸島 V73JA)

JR7OEF伊藤典明氏は、マーシャル諸島で運用した経験をアンケートで寄せてくれた(写真1)。「日本の1アマの従免と局免の英文コピー、パスポ-トのP2-P5のコピーを所定の申請書に添付してUS$20と共に送付。免許は現地発給が原則ですが渡航前にFAXで入手。KX6からV73に変更になってから初めて日本人に発給するので、V73JAを与える旨のコメントを受け取った。ル-トは仙台→グアム→マジュロだったが、マジュロでの入国審査はいたって簡単で、機材の持ち込みには何の問題もなかった。島内には高層建築物は無く、ホテルもこじんまりしたものばかり。私は2階のベランダからDPとLWにてQRVした。ハイバンドは昼夜を問わずノイズレベルが高く受信に苦労した。コンディションは低調で、7-24MHzのCW, SSBで1,200局程QSOしたが、その大多数はJAとのQSOだった。マジュロの人々は皆ひとなつっこく親切で、歩いていると微笑み手を振ってくれる。素晴しい海の色をながめて、はるばるやって来た甲斐があったとしみじみ思った。(1994年2月記)」


写真1. (左)V73JA伊藤典明氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

1993年 (ナウル C21/VK2BEX)

VK2BEX朝比奈篤行氏は、1993年4月にナウルの免許を得て、C21/VK2BEXで運用したと、アンケートを寄せてくれた。「4ヶ月以上の交渉の末、長い沈黙を破ってVisitor Licenseを取得出来ました。 HF+リニア+Vertical & DPでした。11日間で約10,500QSOの内、特筆は160mで120QSO、80/75mで1,100QSOでした。私の後はスムーズにVisitor Licenseがおりるようになり、今後は楽です。(1993年12月記)」

1993年 (キリバス T30D)

VK2BEX朝比奈篤行氏は1993年4月、T30JHの招待を受け、西キリバスからDXペディションのコールで運用したと、アンケートを寄せてくれた。「C21/VK2BEX(ナウル)での運用を終えてから、1日だけT30JHの招待で西キリバスからT30DでQRVしました。C21のPediの疲れを癒す為に行ったのですが、短時間のみJAのパイルを浴びました。トータルで約1,000局とQSOしました。(1993年12月記)」

1993年 (バヌアツ YJ0AHI, YJ0AZY, YJ8NTS)

JA2ECL久野義久氏は、バヌアツでYJ0AHIの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真2及び3)。「今回は初めての国の為、アマチュア無線の運用が主力では無く、その国の文化、生活、環境及び港湾設備の調査もあり、またコンディションが良くなく、交信数も21MHzのJ3Eで100局程度と僅かでした。ここ5年は、ミクロネシアへよく出かけましたが、運用主体は致しませんでした。日本からわざわざ高い航空運賃と時間をかけて行くのですから、その国をよく見、足で歩いて日本にない文化をよく見る事にしております。コールサインのプリフィックスは、バヌアツに居住地がある場合はYJ8、その他はYJ0です。来年2~3月に、フィジー、西サモア、ツバル、トンガ、バヌアツへ行く予定で、ライセンスを申請中ですが、実行率50%-60%です。(1994年11月記)」と、バヌアツの免許状のコピーとQSLカード、それにミクロネシアのV63YKのQSLカードと共に、1993年4月に書かれた19ページに及ぶ今回のバヌアツ旅行の記録を送ってくれたので、その中からアマチュア無線に関係のある一部分を抜粋して紹介させて頂きます。「バヌアツのホテルは、YJ8ST土谷修氏に予約を依頼し、8月4日に出発。持参した機材はIC-723, AT-160, PS-55, ダイポールアンテナ, 同軸50m, GP-22であった。バヌアツは政権が代わり税関が厳しくなっていて、機材の持ち込みが容易ではなかった。ライセンスの発給は、本人が書類とパスポートを持参し、数日後に発給するシステムの為、相当滞在日数が必要とされます。事前に送っても無理の様です。(1993年4月記)」その他の記録はお仕事の関係で、この地域をヨットで活躍しているオケラネットのメンバーとの交流も記録にありました。


写真2. (左)YJ0AHI久野義久氏のQSLカード。(右)V63YK久野義久氏のQSLカード。


写真3. YJ0AHI久野義久氏の免許状。

7K3UZY(ex.JA1EYH)山下康治氏は、バヌアツからYJ0AZYのコールサインでQRVしたと、免許状のコピーとQSLカードを添えて、アンケートを寄せてくれた(写真4)。「バヌアツのPort Vilaの友人宅にアンテナ等を設置して運用した。アンテナはツエップで、リグはTS-50, 100Wであった。3.5MHzから、28MHzまでのA3JとA1で、約200QSO出来た。(1995年7月記)」


写真4. (左)YJ0AZY山下康治氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

JM1GQJ佐藤智明氏はバヌアツで、YJ8NTSのコールサインを得て運用したと、免許状のコピーとQSLを添えて、アンケートを寄せてくれた(写真5)。アンケートの内容は4ページにわたり詳しく書いてくれているが、ここでは、その一部を抜粋で紹介させて頂く。佐藤氏は、青年海外協力隊の隊員として、バヌアツのアンブリム島に派遣され、職業訓練校で教育に従事しておられたそうです。「免許申請: 日本の無線従事者の免許、局の免許のコピーに、その仏語または英語訳を添えて、申請用紙と共にTelecom Vanuatuへ申請する。免許の発行までは、その時の状況によるが、2~3日程度。更に、コールサインはある程度選択できる。使用無線機: YAESU FT-80C 業務用の無線機で、緊急連絡用に海外青年協力隊事務局から貸与されたもので、FT-747GXと同等のものと思います。アンテナ: セットになって貸与されたアンテナはDXには不向きだったので、ダイポールやロングワイヤーなどを自作して、近くにある椰子の木などに引っかけて使っていました。電源: 自動車用のバッテリーをソーラーパネルで充電して使っていました。雨季の運用は、バッテリーが十分に充電出来ない事があってQSO中に電圧が下がってしまい相手局に迷惑をかける事も度々ありました。大きなバッテリーではなかったので、天気が良くてもロングQSOは出来ませんでした。TVI: アンブリム島にはテレビが1台もないので、TVIの心配は全くありませんでした。運用状況: 本来の緊急連絡用に影響が無いように、常にバッテリーの残量には気を付けて運用したので、あまりアクティブには交信しませんでした。JANETに時々出る程度でした。たまにCQを出すと日本では経験した事がないパイル状態になって、嬉しいながらも戸惑いました。パプアニューギニアで火山が噴火した時と同じ頃、私の島でも噴火が激しくなり地震なども頻繁に起こりました。電話のないこの島で、万一の時はどうしようと不安な夜も、JAやVK局の会話が聞こえるだけで、いざという時は中継して貰えるという安心感がありました。(1994年11月記)」


写真5. (左)バヌアツの免許申請用紙と。(右) YJ8NTS佐藤智明氏の免許状
(最初YJ0AEUのビジター用のコールサインで発給されたが、直ぐに住民用のYJ8NTSに変更されたとの事)。

1993年 (ピトケアン VR6BB, VR6JJ)

JA1SLS玉眞博義氏は、南太平洋の孤島ピトケアン島から、JF2MBF市野光信氏とDXペディションを行った経験を、アンケートで寄せてくれた(写真6及び7)。「南緯25度、西経130度に位置するイギリス領ピトケアン島は、グループとしてこの島を含め4つの島で構成されているが、Pitcairn島(東西約3.2km, 南北約1.6km)以外は無人島である。VR6TC,トム・クリスチャン宅にホームステイ。アンテナはR5, HF-2V, 逆L(1.9MHz), 4ele八木(50MHz)を使用。電気の供給が午前中3時間、午後6時間に制限されているため、その他の時間は車用のバッテリーで運用を行った。今回のDXペディションはJF2MBF(VR6JJ)と2人で行ったが、日本人による初めてのVR6の運用であった。私は3月13日に帰国したが、JF2MBFは今現在もVR6に滞在中である。VR6BBはCW, RTTYで使用、VR6JJはSSB, 50MHz に使用したため、VR6BBのコールはJF2MBFに引き継いで現在に至っている。(1993年5月記)」


写真6. VR6BB玉眞博義氏の免許状。


写真7. VR6BB玉眞博義氏の入国許可証。

「あの人は今 (第14回)」JA6EGL三宅正司氏

世界各地で活躍され、現在も毎年パラオに出かけてT88SMでアクティブなJA6EGL三宅正司氏の、ドイツでの運用については(その34) 2016年1月号で、パラオでの運用については、(その87) 2020年6月号でそれぞれ紹介させて頂き、更に1994年の北マリアナ諸島での運用、1997年の英国の免許取得、そして1999年のパラオでの運用についてもアンケートを頂いておりますので、今後その年の回で紹介させて頂く予定ですが、その三宅氏からその後の状況をお知らせ頂きましたので紹介させて頂きます。「1985年のDL/JA6EGLは、韓国金浦空港経由の初渡欧旅行でした。勿論、海外での無線運用も初めてでした。あれから35年経ちDJ1XWはSKですが、娘のエレン(DC0TMのXYL)とは今でも交流が続いています。また、渡欧が縁でJAIGにも入会させて頂きました。その後、1990年にグアム島で途中下機し、FCCの試験を受けてゼネラル級免許を取得しました。その足で、オーストラリアのシドニーに行き、電波監理局でVK1CWの免許を貰って、キャンベラで運用しました。1991年以降、海外運用の虜になってしまい、グアム島、パラオ、ヤップ島等訪れるようになりました。オーストラリアでVK1CWというFBな呼出符号を、相互運用協定でもらった責任上?現地で国家試験を受験する事にしました。90年代後半は、しばしばオーストラリアのブリスベンの、フォックスマウンテンロッジという、民宿(VK4HF経営)に出かけて、山頂から世界中に電波を飛ばしました。一軒家なので、外来雑音が全くなく、思う存分楽しむことができました。残念ながら、現在この山荘は廃業になりました(写真8及び9)。


写真8. (左)フォックスマウンテンロッジのシャックにて、VK1CWを運用する三宅正司氏。
(中)ロッジのアンテナ。(右)VK1CWのQSLカード。


写真9. VK1CW三宅正司氏の免許状。

2000年代に入り、パラオ共和国に毎年出かけています。私の呼出符号はT88SMです。パラオが米国から独立する前はKC6SMを使っていました。今でも毎年10月には、パラオに出かけて海外運用を楽しんでいます。オーストラリアのキャンベラの電波監理局には、5年に一度、免許更新の為出かけています。5年免許で300豪州ドルと免許料が高いのが難点です。現在、谷底みたいな自宅シャックからの運用なので、電波が全く飛びません。その為1年に1回だけ、パラオ共和国で1kWの電波を出して楽しんでいます(写真9)。(2020年4月記)」


写真10. (左)パラオのVIP Guest Hotelの会員制クラブのアンテナ。
(右) T88SM三宅正司氏のQSLカード。

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次号は 11月2日(月) に公開予定

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