2015年3月号

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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その24 FCC 1983年 (3)

FCC

前回はCEPT(欧州郵便電気通信主管庁会議) CEPT T/R 61-01及び02(短期及び長期滞在者を対象とするアマチュア無線資格の相互認証)について述べたが、米国のFCC (Federal Communications Commission)の免許も、米国が多くの国と相互運用協定を結んでいる関係から、その免許で運用できるかそれを根拠に免許される国があるため、日米間の相互運用協定ができた今でも、多くの日本人がFCCの試験を受けてその免許を持っている。FCCによって認められたVEC (Volunteer Examiner Coordinator)の制度(1984年から開始)によってARRL-VECやW5YI-VECなど14のVECの組織がFCCの試験の大半をハンドルしていると言われ、これらの組織が海外のVE (Volunteer Examiners)を使ってその国での試験を実施しており、我が国でも日本人によるいくつかのグループが日本人の便宜を図っている。本来は米国に出かけて運用するため事前にその資格を得ておくのが目的であったが、出かける意思や予定のない人まで免許を取得しているので、免許事務費用などに米国民の税金が使われているとの批判もあるが、日本人にとっては有難い制度である。考え方によっては、多くの外国人に免許/運用の機会を与えることで、自国のアマチュア無線制度を世界標準にする戦略かも知れないが、日本ではそのように広い度量で外国人に免許を与える制度ができるであろうか。

1983年 (米国 N7CFQ, KR7T, KA4RVB, KV9S, NI8V, N2DXU, KD2HA)

JA2FGE澤木利氏氏はオレゴン州とニュージャージー州で運用したKR7Tの経験をアンケートで寄せてくれた。「アメリカ駐在員として、最初は木材関係の商社員としてPortland, ORでQRV(写真1)、現在は電気関係の仕事でアメリカ東部に駐在、New Jerseyにて主にモービル運用を目指しています(写真2)。FCCのフィールドOFFICEにて試験を受け合格したもの。Portlandでは近くのクラブに仮所属し、フィールドデー等に同行。主に21, 14 MHzでJA各局とQSOさせてもらったが、コンディションダウンと共に帰国、出張のたびにKD7AM局のシャックからQRVするも、コンディションの悪さには勝てず。その後会社を替り、新規就職先企業から再びアメリカ駐在を命ぜられ、今度はアメリカ東北部NJに着任するもアパート住まいにより思うようにQRVできそうもなく、モービルにての運用を計画中でリグ(IC-730)待ち。現在2メーターHTにてのQSOのみ。(1985年6月記)」 そして、その後次のような手紙を頂いた。「PortlandのFCC-OFFICEでの免許試験受験時の試験官は若い女性でした。アメリカでの最初の免許はやはりPortland , ORで取得したGeneralのN7CFQでした(写真3)。現在はExtraでKR7Tです。KR7Tのコールサインで、いまだに海外に出かけた折にはQRVしていますので、その時のQSLカードを同封します(写真4)。(2014年12月追記)」と、澤木利氏氏はオレゴン州で既に1981年にN7CFQとして運用しておられたのだ。


写真1. (左)N7CFQ澤木利氏氏(1981)。 (右)KR7T澤木利氏氏のQSLカード。


写真2. (左)KR7T/2澤木利氏氏のQSLカード。 (右)KR7T/2澤木利氏氏のシャック。


写真3. N7CFQ 澤木利氏氏がExtra級の試験に合格した時の仮免許状(1981)。


写真4. (左)KR7T/KH0澤木利氏氏達のQSLカード。 (右) KR7T/KH2澤木利氏氏のQSLカード。

故JH3DIC金沢平八郎氏もまたテネシー州メンフィスでKA4RVBとして運用した1981年頃の写真を送ってくれていた(写真5の左)。彼は1979年1月からシャープ株式会社の米国生産会社(SMCA)設立準備のため渡米、翌年から1981年3月までSMCAに出向で勤務された。その間の1980年9月にFCCのノビス級の免許を、そして1981年1月にテクニシャン級の免許を取得した旨、金沢氏と同じ職場で働いたことのあるJA3IBU逵幸一氏が知らせてくれた。金沢氏は2001年8月の東京ハムフェアに参加(写真5の右)の後、JICAシニアボランティアとしてカンボジアのプノンペンに赴任され、その10月に任地で亡くなられた。仕事が落ち着けばカンボジアからもアマチュア無線を運用してみたいと語っておられたが、その夢を果たせなかったのは残念だったことであろう。


写真5. (左)KA4RVB金沢平八郎氏(1981)。 (右)東京ハムフェアにて筆者とKA4RVB金沢平八郎氏(2001)。金沢氏はこの年の10月JICAシニアボランティアの赴任先カンボジアのプノンペンで亡くなられた。

JA3HTT浜田賢治氏はイリノイ州で上級の免許を取りKV9SでDXを楽しんでいる模様をアンケートで知らせてくれた。「JANET発行のFCC受験ガイドを参考に、渡米後すぐにFCC EXAM受験、合格。渡米前にN2JA, K2VZ両OMに頼み、問題集を取り寄せ勉強していた。現在NIDXA(Northern Illinoi's DX Association)とILLWIN(Illinoi's Wind Contest Club)に所属し、DX, Contestとactiveにon air。160m~10m CW/SSB & OSCAR-10 CW/SSBにてDX huntingに熱を上げているところ(写真6)。(1985年5月記)」


写真6. (左) KV9S浜田賢治氏(1985)と、(右) KV9S浜田賢治氏のQSLカード。

JH4MUQ高島淳氏は1988年に会社から派遣されたシカゴ大学への留学中に手紙を添えてアンケートを寄せてくれた。「NI8Vの免許はICUよりOhio Stateに留学中に取得、W8LT (Ohio State Club)より運用、1983/9~1984/6(写真7の左)。その他WPX Contest (CW) 85年にも使用、W8-Area優勝。1988年7月より会社派遣の留学にてシカゴに到着。シカゴ大学にはクラブがないため、JANETには自宅よりチェックインした(写真7の右)。(1988年10月記)」


写真7. (左)クラブ局W8LTを運用するNI8V高島淳氏。 (右)NI8V高島淳氏のコールサイン入り名刺。

JA3ILI市晴氏は筆者と同じ時期に米国に駐在されていて、何枚かのシャックの写真を頂いていたので、当時の思い出を尋ねていたところ、次のようなアンケートを頂いた。「1982年に米国に赴任して、年末にマンハッタンのFCCオフィスでジェネラル級を受験、1983年1月にN2DXUを開局しました(写真8の左)。そして日本からリニアアンプTL922を空輸してもらい、シャックを充実させました(写真8の右)。その後、1985年にアドバンスドに昇級してコールサインをKD2HAに変更しました(写真9)。この頃、日本で手に入らなかった憧れのコリンズのリグに興味を持ち、BARAを中心とする各地のフリーマーケットに出かけてはコリンズを集めました。NY/NJでJANETクラブ各局と2mでQSO出来たことが駐在中の一番の楽しみでした。なかでもN2ATT荒川OMのお世話で国連アマチュア無線局4U1UNの見学/運用をさせて頂いたことは、今では不可能な思い出として強く記憶に残っています。また短い間でしたがJANET OSCAR10 ワールドNETのコントローラーをさせて頂き、JA/W/VE/DL局からのチェックインがあったことも楽しい記憶の1つです。(2015年1月記)」


写真8. (左) N2DXU林市晴氏と2人のお嬢さん。
(右)無線設備をアップグレードしたシャックにてN2DXU林市晴氏。


写真9. (左) KD2HA林市晴氏(1985年)と、(右) KD2HA林市晴氏のQSLカード。

1983年 (国連本部 4U1UN)

上記JA3ILI林市晴氏が述べている通り、彼はこの年から1985年にかけて筆者JA3AERと共に4回4U1UNを運用している。4U1UNのログを見ると、筆者JA3AERはこの1983年に4回運用しているがJA3ILI林市晴氏が運用した1983年6月18 - 19日は、JANETクラブのメンバー7名がJARL主催のAll Asian DX Contest - Phoneに参加したと、CQ誌のJANET NEWSのコラムに次のように投稿していた。「1983年度のオールアジア・コンテスト(電話部門)に、ニューヨーク、ニュージャージー在住のメンバーが、4U1UNからQRVしました。昨年同様、Max (HB9RS)の好意により、マンハッタンの国連本部事務局ビル40階に設置された、クラブ局4U1UNを運用する機会を得て、初日6月18日(現地時間で17日の夜から18日の朝にかけて)はN2JA, N2AIR, N2CAO, N2DHZが、続く19日にはN2ATT, N2CAO, N2CWO, N2DHZ, N2DXUが、交互に仮眠をとりながら運用しました(写真10)。残念ながらコンディションが悪く、JAとは14MHzで8局、7MHzで2局とのQSOに終わりましたが、7MHzでのSSBは1st everでした。なお、AAコンテストの総合得点は476点(28 x 17)で、このQRVのため、すぐ隣の室に設置してあるビーコン局、4U1UN/B (14.100MHz)は2日間QRTしました(写真11)。(CQ誌1983年9月号)」 国連本部は4U1UNの1局しかないが1つのエンティティであるため、1点でも記録出来れば1位に入賞である。この前後数年間の参加では毎年1位の賞状が送られてきた(写真12)


写真10. (左) 4U1UNでAll Asian DX Contestに参加中の左から、N2CWO/JR1BES吉原重和氏, N2DHZ/JH1HGC三浦純夫氏, N2ATT/JA3AER筆者, N2DXU/JA3ILI林市晴氏。
(右)同じく運用中のN2DXU林市晴氏。


写真11. (左) 4U1UNのQSLカード。
(右)国連本部のビーコン局、4U1UN/B (14.100MHz)の横に立つ筆者。


写真12. JANETクラブメンバーが4U1UNで獲得した、歴年のAll Asian DX Contest - Phoneのマルチバンド・マルチオペレーター部門での1位の賞状。

1983年 (カナダ N2ATT/VE2, N2ATT/VE3)

筆者JA3AER荒川はカナダでの運用について次のように記録していた。「米国滞在中の1983年7月2日から4日までの3連休に、XYLと共にニュージャージーからカナダのモントリオールまで車で旅行に出かけ、カナダに入国してからは144MHz, FMをN2ATT/VE2モービルで運用した。カナダでは米国との相互運用協定により、米国FCCの免許で運用が可能であった。無線で道案内をしてくれたVE2FRF高部さんのシャックを訪問し、そこからもN2ATT/VE2のコールサインで7MHz, 14MHz, SSBを運用させて頂いた(写真13)。(1985年4月記)」 また、「1986年9月23日から25日にかけて、カナダのオタワ、キングストンへドライブした時は、N2ATT/VE3モービルで144MHz, FMを運用した。(1986年9月追記)」


写真13. (左) N2ATT/VE2筆者のQSLカード。
(右)カナダのVE2FRF高部克彦氏のシャックにて、N2ATT/VE2を運用する筆者とVE2FRF高部克彦氏。

1983年 (セントポール島 N1CIX/VE1, CY0SPI)

JH1VRQ秋山直樹氏はカナダのセントポール島での運用について2つのアンケートを寄せてくれた。1つは米国の免許で自動的に運用できるN1CIX/VE1であるが、「実際の運用はグループのコールCY0SPIで行った。(1985年5月記)」とあり、もう1つのCY0SPIのアンケートには、1983年9月24日から10月3日まで、HF, VHF, CW, SSB, RTTYで運用したとして、「“モービルルハム”1984年1月号を参照。(1985年5月記)」とある。

1983年 (メキシコ XE1TOA)

JA4HRC岡本隆志氏はメキシコでの活動をアンケートで寄せてくれた。「1977年5月メキシコが面白そうなので住むことにした。この時はメキシコの永住権がないとハムの免許は取れないと聞いていたが、JA4JDP中島OMのメキシコ運用記をCQ誌(1982年2月号)で見て、ハムの免許が取れると1983年第2級の試験を受けた。CWは13 WORD/M、学科はすべてスペイン語の記述、辞書を持込み時間制限なしでやっと合格した。1ケ月後、免許証が送られてその日からON AIR。1級との差はHFで1 kWと500Wだけ、モードも周波数も自由というものであった。メキシコのアマチュア無線連盟に入会QSLカードの転送を受ける(写真14)。今まで1,000局、半分が日本でした。メキシコでのハムの活動は低く?ほとんどが2mのモービル、HFでCWをするとFIRST XEと米国から打ってきます(写真15)。そして2mのみのライセンスが無試験で1年のみというのもメキシコにはあるそうです。XEでのアクティビティは低いですが、みんな陽気なすてきな仲間達ばかりで最高です。(1985年6月記)」


写真14. (左)XE1TOA岡本隆志氏の免許状。
(右)XE1TOA岡本隆志氏のメキシコアマチュア無線連盟(FMRE)の会員証。


写真15. (左)XE1TOA岡本隆志氏のQSLカード。(右)米国のK2VZ岩瀬有増氏のシャックにて、左からXE1TOA岡本隆志氏、K2VZ岩瀬有増氏と2nd(1984)。

1983年 (コロンビア 5K5IRU)

JH1VRQ秋山直樹氏は1983年にコロンビアで開かれたIARU第2地域会議に参加されたらしく、「5K5IRUは、LCRA (Liga Colombiana de Radioaficionados) 50周年記念局のひとつ。LCRA会員とIARU第2地域会議(1983年6月6 - 11日)参加者に運用が許された。(1985年5月記)」とアンケートを寄せてくれた。コロンビアでは1983年6月11日に、LCRA50周年を記念した記念切手が発行されている(写真16)


写真16. (左)コロンビアのLCRA50周年記念切手と、(右)その初日カバー。

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