2016年10月号

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熊野古道みちくさ記


熱田親憙

第29回 紀の川を渡る

和歌山市内の紀州街道を南下し、紀の川を渡る前に川辺王子跡・力侍神社に立ち寄った。広がる田園に長い参道を進むと、神職の黒柳神官に迎えられ、「主祭神は天手力男神・アメノタチカラオノミコトで、天照大神が天の岩戸にお隠れになったとき、無双の神力を以てその岩戸をお開きになった御神です。」という。創立は平安中期だが、江戸早期に八王子神社(川辺王子社)と共に現在地に移り、上野、島、神波、楠本、川辺地区の産土神として鎮座している。黒柳さんは「国道24号線のバイパス工事で川辺遺跡が発掘され、縄文・古墳時代から鎌倉時代までの住居、墳墓、道路、建物・木棺などの遺跡が見つかったんですよ」と補足された。近くに紀の川があり、農耕もしやすく住みやすかったと思われる。目を高積山方向に転ずると、昔、渡し場と布施屋(無料宿泊)で繁昌した川辺橋がかすかに見えた。

24号線を横切ると間もなく、紀の川をまたぐ県下最長の川辺橋である。熊野御幸の時代、現在のような堤がないので増水の度に川幅も移動し、お客も船頭も危険一杯だった。そんな渡し場風景を見守ってくれたのが、お地蔵さんである。橋元から500mほど下がった河原に、隠れるようにして、六道界を思わせるお地蔵さんと真新しい赤いエプロンをつけた道祖神の合計7体が鎮座しており、今や紀の川の守り神になっている。熊野詣での旅人が無事にこの川に帰ってきてほしいという、渡しの人々の祈りが今日まで受け継がれているようだ。河原から堤に上がると、江戸時代に洪水と治水を一挙に解決した、海南市出身の井沢弥惣兵衛の尽力が頭に浮かんだ。

それは劇団KCMのミュージカル「いざわやそべえ」を海南市市民交流センターふれあいホールで観劇し、感動したからだ。灌漑と新田開発で米の生産を一挙に上げて藩の財政と享保の飢饉から民衆を救った全国区の偉人物語である。舞台は弥惣兵衛の少年時代からはじまる。為永少年は、あるとき天狗に「民が幸せになるために、刀でなく別の生き方がある」と諭される。為永は父に習って農業技術を磨き、紀の川上流の堤防強化と農地開拓で手腕を発揮した大畑才蔵と運命的出会いをし、藩主吉宗にコメの増産による財政改善を口説かれた。彼は才蔵とともに、藤先井用水や亀の川用水の水路工事を完成させ、コメの増産で藩の財政危機を救った。

この実績を買われて将軍吉宗公の時代には、幕府の吟味役に昇進し、利根川の水で新田開発した見沼代用水や木曾三川の改修などで享保飢饉に対処した。ストーリーの中で、観衆は二度大きな拍手を送った。一つは有田川の治水工事で犠牲になった父への報いを娘・椿に約束したシーン。もう一つは紀の川の治水工事に危険を冒してでも完遂したいと役人を通して吉宗公へアピールするシーンであった。私も感動した。脚本・演出担当の東道さんに尋ねると「今の幸せの陰に、地元の人のためにご苦労した昔の偉人を紹介しただけです。市民は弥惣兵衛のことを忘れることなく誇りに思って欲しい」と結んでくれた。


スケッチ 紀の川の守り神となっている地蔵尊(和歌山市布施屋の川辺橋周辺)

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