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熊野古道みちくさ記

第42回 麹文化の町・湯浅

熱田親憙

私の出身地・千葉県も醤油(しょうゆ)づくりが盛んだ。それ故、醤油の町・湯浅には前々から親しみをもっていた。

訪問はまず町の北部に位置する熊野古道沿いの逆川王子から始まった。道はここから湯浅の町のど真ん中を通って広川に抜けていく。方津戸峠に立つと湯浅の市街地が一望できた。旅人にはいい休憩所であり、醤油商人にとっては地方回りの集金人を出迎えてねぎらう場所だったようだ。

軒先に麹(こうじ)屋の看板がある北町の入り口に立つと、江戸、明治、大正の歴史的建造物がずらり。土間のある金山寺味噌店の女主人は割烹着(かっぽうぎ)姿で対応してくれた。更に進むと「手づくり醤油」ののれんが目に入り、社長と奥さんが迎えてくれた。創業から170年以上を経た工場は、昔ながらの木造建築で高さ2メートルもある吉野杉の仕込み桶が正面に居座り、手づくり一筋を誇っていた。とりわけ感動したのはもろみ蔵での発酵・熟成工程である。もろみを仕込んだ桶が立ち並ぶ天井から酵母菌を降らせる仕組みは圧巻だ。酵母菌が棲(す)んでいるので梁の修理もままならぬと奥さんは笑う。1年以上寝かせて製品化するという。手づくりの真骨頂だ。「和食」が世界遺産になった今、そのベースになる醤油を麹文化として、さらに質を高めて欲しいものだ。

次は中町の「甚風呂」をのぞいた。江戸末期開業の公衆風呂で、1985(昭和60)年までの約140年間、町民の憩いの場であった。すり減ったアルミの洗い桶、手書きの映画ポスターが営業していた当時の庶民の娯楽を現してした。

風呂前の小路を左折して辻に入り御蔵町にでると白壁の蔵・倉庫が並び、商工都市の面目を垣間見た。再び熊野へ向かう道町に出ると、角の立石道標にぶつかった。脇に熊野詣での安全を願う護摩焚き場があり、当時のにぎわいがしのばれた。

立石道標を少し西に入ると深專寺入り口に、安政南海大地震・津波(1854年)の記念碑が建ち、後の人への戒めが書かれていたのが目に新鮮だった。湯浅駅を過ぎると間もなく、若き紀伊国屋文左衛門(文平)の像に出合った。中央に目を向けて事業を展開した湯浅の商人魂をみた。

文献によると、平安後期に台頭した湯浅氏は、鎌倉時代に盛んになった熊野御幸の紀伊から田辺までの警護と湯浅での宿泊に責任を持った。宿場町での歓待の役割も果たし、今でいう観光ビジネスの先駆者と言えよう。

一方、湯浅氏は京都とのパイプ作りも怠りなく、上覚や明恵上人を神護寺に送り、京都での窓口の役割を持たせた。したたかな政治家だ。鎌倉時代になると、由良・興国寺の覚心が宗(中国)から金山寺味噌を持ち帰り、湯浅に根づかせる。その製法習得の過程で、室町時代に醤油の醸造を開発し、山田川の伏流水と風土で産業化。江戸時代は紀州藩の支援で醤油産業が栄え、広域化した。海運と共に漁業と漁網製造が盛んになり、商工業都市として発展した。今日の湯浅は過去の歴史を包含しているので、醤油の町というよりは、自然や人材を発酵・熟成させた麹文化の発信の町といった方がなじむかもしれない。


スケッチ;「角長」の仕込蔵(有田郡湯浅町湯浅)

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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