2015年12月号

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JH6QIL 楠本真一さん


コンテストの賞状と楠本さん。JARL鹿児島県ハムの集いにて。

鹿児島県姶良市からコンテストにアクティブな楠本さん。中学2年生の頃、BCLに興味を持って父親の短波ラジオで海外放送を聞き始め、中学3年生の時に新聞配達のアルバイトで通信型受信機9R-59DSを購入した。当時は、「インドネシアの民放局とか南米のローカル局のようなマニアックな局を狙って受信していました」と話す。また、BCLの受信レポートを初歩のラジオ、ラジオの製作、電波技術等の月刊誌に送り、掲載誌をもらっていたが、それらの雑誌にはアマチュア無線の記事も載っており、自然にアマチュア無線の知識を得た。

1974年、高校1年生の夏休みに養成課程講習会に約1ヶ月間通い、終了試験に合格して電話級アマチュア無線技士を取得。TS-520XとGPアンテナを入手してJH6QILを開局した。開局後は国内QSOも行ったが、どちらかというとBCLの影響で海外QSOに力を入れた。1st DXは21MHzでQSOしたラオスのXW8HRだったという。高校時代はとにかくアマチュア無線の運用に熱中した。

高校卒業後は東京の大学に進学。下宿先からもオンエアしたが、アンテナの制約やインターフェアの発生などであまりアクティブではなかった。大学卒業後は地元鹿児島県にUターン就職し、自宅の屋根にルーフタワーと21/28MHzの3エレ八木を上げてDXに復活したが、その後、結婚のために借家住まいとなり、さらに育児で忙しくなったことで、無線からは遠ざかり知らないうちに無線局免許も流してしまった。

1990年頃、たまたま書店でCQハムラジオ誌を読んだことがきっかけとなり、無線局免許を復活申請。自宅の新築注文に合わせて、3畳のマイシャックを間取りに入れた。1991年12月に家が完成、その際鉄工所に頼んで作ってもらった2段式クランクアップタワーを建てて再開局を果たした。

再開局後はDXハンティングをメインに運用したが、その頃、鹿児島にはDXクラブがなかったため、楠本さんは同好の士を集めて、鹿児島DXギャング(KGDXG)を創設した。会長にはJG6BKB田中さんが就任、楠本さんは事務局を担当した。仲間も増えて情報交換ができたことから、ますますDXに熱が入り、DXCCの交信エンティティ数も順調に増えていった。

DXコンテストには、珍局とQSOすることを主目的に参加していたため、コンテストでCQを出すことはほとんど無かったが、呼ばれる側も楽しいのではと考えてからはコンテストでもCQを出して参加するようになった。同時に、この頃からは国内コンテストにも積極的に参加するようになった。

2000年に1アマを取得した頃からは、ローカルのJK6SEW久保さんが別宅として構築したコンテストシャックからマルチオペでコンテストに参加するようになった。このシャックからはDXコンテスト、国内コンテストを区別することなく参加し、数々の成果を上げると共に、オペレーターとしての腕を磨くことができた。ここからは5年間ほど運用を行ったが、オーナーの久保氏が多忙になったことや若手コンテスターが転勤などで鹿児島を離れたことから、その後は、再び自宅からシングルオペ部門に参加する様になった。楠本さんが好きなバンドが14MHzのため、この頃は14MHzシングルでエントリーすることが多かった。

楠本さんが自宅を新築以来使用していた、鉄工所製のクランクアップタワーはメッキされておらず、ペイント仕上げだったため、使用年数が経つにつれて錆が回りボロボロになってきた。そんな折、たまたま運よくメーカー製のクランクアップタワーを譲り受けることができた。2002年、楠本さんはこの亜鉛どぶ漬けメッキのクランクアップタワーへの建て替えを敢行し、アンテナは14/21/28MHzトライバンダーのTA-33を上げた。これの成果として、2015年10月時点でのDXCCの未交信は7エンティティとなっている。


楠本さんのタワーとアンテナ群。

一方、楠本さんは平成の大合併がピークとなった2005年頃から移動運用を始め、近場を中心にサービスを行った。アンテナにはギボシ端子を使用したマルチバンドの逆Vダイポール、電源にはエンジン系統とは独立させた自動車バッテリーを使用した。「ノイズや騒音が嫌いなので、発動機や車のエンジンをかけながらの運用は好みません。そのため移動運用はQRPがメインになりました」、と話す。

2010年頃からは自宅からもQRPでコンテストに参加するようになった。「出るからにはもちろん入賞は目指します」、と話す。また、過去のレコードが載っているWEBサイトを参考にして、レコード更新が狙えそうな部門にもエントリーしている。これまでの一番の成果は2014年全市全郡コンテストの電信電話部門シングルオペ14MHzバンド部門にQRPで参加しながら、ハイパワー局を抑えて、全国1位になったことだ。


2015年ALLJA時の楠本さんのシャック。

また、2014年には、無線機を新調したのに伴いRTTYを始めた。「RTTYは弱肉強食のモードだと思っていましたが、やってみたら面白かったです。他のモードより出ている局が少ないからか、コンテストではそれほどパイルにならないので、呼べば大体応答があります」、と話す。2014年夏頃、使用していたコンテスト用ロギングソフトCTESTWINの作者にメールで問い合わせを行ったことをきっかけに、CTESTWINのサポートのお手伝いをすることになった。現在は主にDX/RTTYコンテストの規約の確認、ソフトの全体的な動作確認、SNSを利用しての機能紹介の広報を担当している。同時に、楠本さんは、自身のBlogに、各コンテストの日程と自局の結果を載せている。

楠本さんの2つのBlog


コンテスト情報と報告


アウトドアと移動運用

アマチュア無線をやってきて良かったことは、「職業や年齢にとらわれず、広く友人ができたことです。学生時代の同級生とはだんだんと疎遠になってしまいましたが、アマチュア無線の友人とは長い付き合いが続いています。職場とは関係なしに純粋にアマチュア無線の仲間との飲み会やキャンプをするのが楽しいです」と話す。

楠本さんは、最近、中古の軽ワゴン車を購入した。コンテストに参加しない週末にはソロキャンプに出かけたいという。そのため、現在はキャンプ道具を順次そろえており、無線用とは別にキャンプ専用のBlogも立ち上げた。最後に、楠本さんは、「私は医療機関で情報システムの仕事をしているため、非常時の通信に関心があり、まずはD-STARを始めてみようと思っています」と話す。

このコーナーでは、アマチュア無線の様々な楽しみ方に挑戦するハム(アマチュア無線家)を紹介します。
自薦も歓迎しますので、info@fbnews.jpまで、写真1、2点と紹介文(300字以内程度)を添えてご送付下さい。
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