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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その119 2000年はサンスポットサイクル23のピーク 2000年(2)
「あの人は今(第44回)」JH3FNC村上満氏

JA3AER 荒川泰蔵

2023年2月1日掲載

サンスポットはサイクル23のピーク

今回は2000年の2回目でオセアニアです。2000年はサンスポットサイクルが23のピークに達し、海外運用でも多くのJA局とQSOが出来る時期で、日本人による運用も活発に行われました(写真1)。尚、今月の「あの人は今(第44回)」は、JH3FNC村上満氏の紹介です。


写真1. サンスポットのサイクル(QST誌2007年10月号から)。

2000年 (東マレーシア 9M6XXT)

JA1CMD宮盛和氏は、ボルネオ島の東マレーシア・サバ州で運用したとレポートを寄せてくれた(写真2)「ライセンスはFCCのライセンスをベースに、9M6XXTのライセンスを得た。サバ州のラナウ(Ranau)へは駐在地のジャカルタからシンガポール経由でコタキナバルへ、そこから陸路2時間半であった。ラナウは高原の町で英国時代の保養地だった。ひょんなことからラナウの街でアマチュア無線局を運用し、かつマレーシアのハム界での名士であるA氏と知り合いになり、同氏の運営するリゾートホテルへ招待された。免許の取得は同氏が手伝ってくれた。1週間の休暇をここで過ごすべく、勇んでXYLと一緒に出発した。ラナウの風はさわやかで、すこぶる快適、蒸し暑いジャカルタから来た身には極楽の如し。同氏のXYLさんの案内で、小生のXYLは各地を訪問し、ご満悦! 訪問先のペットのオランウータンと握手したら、指が折れそうだったと。同氏の運営するクラブ局には、TH6DXX, 6m八木と、トランシーバーに1kWのリニア―などが完備、全世界に良く飛んだ。JAからのリクエストにより6mでもQRV、上々の結果で14MHzを中心に計300局程とQSOした。3日目に突如勤務先から電話で急遽帰国を乞われ、やむなく帰路のフライトを予約、折角の休暇は半ばで終ってしまった。これが小生のジャカルタ勤務中の最後の運用になり、また、海外からの運用の最後になりました。(2020年5月記)」


写真2. 9M6XXT宮盛和氏のQSLカード。

2000年 (パラオ T88YQ)

JA3MVI山本勝美氏はパラオでの運用についてアンケートを寄せてくれた(写真3)。「旅行代理店、(株)ビッグファイブの企画旅行に乗っかって、免許の取得からオプショナルツアーまで面倒をみて貰い、T88YQの免許を取得して貰いました。用意したのは日本の局免許、従事者免許の英文証明(電気通信監理局発行)くらいです。運用はCQ誌にも記事で紹介されました、コロールにあるパラオパシフィックリゾートで、アンテナ、リグ等、全て揃っていてFBでした。持参したもので、実際に使ったのはパソコンくらいでした。9月5日から10日迄の6日間、3.5MHzから50MHzまでのSSBとCWでのQSO数は約4,000 QSOでした。オプショナルツアーのスノーケリングも、カラフルな魚を沢山見ることができ、満足でした。(2000年10月記)」


写真3. T88YQ山本勝美氏のQSLカード表と裏。

2000年 (北マリアナ諸島 KH0/JA3HD, N2ATT/KH0)

JA3HD野村啓之助氏は、4人のグループでサイパン島から運用した経験を、レポートしてくれた(写真4~6)。「2000年6月22日から27日の間、実質4日余り、4名のメンバーでサイパン島から7 - 50MHzの各バンドで運用した。私はKH0/JA3HDのコールサインで主に14, 21, 28MHzのSSBにQRVし、約650局とQSOした。7MHzはワールドワイドにオープンせず、また距離の関係かJA局の入感も弱く非常に静か、50MHzは短時間、間欠的にオープンするぐらいで本格的なEスポに遭遇しなかった。


写真4. (左)SSBを運用するKH0/JA3HD野村啓之助氏。(右)食事を楽しむ野村啓之助氏。

初めて海外から運用して印象的であったのは、日本のハム人口も多いが、ヨーロッパのパイルアップに直面して、その局数の多さと必死にコールするバイタリティーには脱帽した。それと、自分がパイルの中を呼ぶ側に回った時、どうすればQSOの確率が高められるか参考になった。その他、無線局のセットアップ作業は大変良い体験となった。無線機材、特にアンテナ部材による組立て、タワーへのリフトアップ、その後の調整等は、リーダーを中心としたメンバー全員の協力、共同作業であった。共にひたいに汗した者同志の連帯感が感じられ真に爽やかであった。私自身マルチエレメントアンテナの建設、撤去作業は初めてで教えられるところが多く、往年の自作意識を強く刺激された。


写真5. (左)メンバー全員でアンテナの組み立て作業。(右)CWを運用中のKH0/JA3HD野村啓之助氏。

今回は各種機材や宿舎等、全て現地レンタルの所謂「パッケージツァー」形式を利用したが、各種機材を組み立てての無線局建設、それに撤去作業等、充分ペディション気分が味わえた。無人島やレアカントリーに各種機材を搬入するペディションは魅力を感じるが、時間と資金、それに強靱な意志と体力に恵まれた小数の人達のみが実現可能で、普遍性に乏しい。手軽に利用可能なパッケージ形式で多くのハムが海外運用を体験すれば、ハムに対する視点も変わりFBかと思う。願わくは、このような施設がワールドワイドに点在するようになることを望む。(2000年7月記)」


写真6. KH0/JA3HD野村啓之助氏を含むメンバー全員の共通QSLカードの表と裏。

JA3AER筆者は、河内長野市のアマチュア無線のクラブで、JA3APU直原興三氏に誘われて、サイパン島での運用に参加した経験をメモしていた(写真7~10)。「2000年6月22日から5日間、河内長野ハムネットのメンバー・JA3APU直原興三氏をリーダーとして、JA3HD野村啓之助氏、JH3FFJ今井公一氏と共に、サイパン島のマリアナリゾートホテルのレンタルシャックからN2ATT/KH0でQRV、JANETやJAIGのネット等にもチェックインしました。


写真7. (左及び中央)メンバー全員でアンテナの組立。(右)3局が異なる周波数で同時に運用。


写真8. (左)N2ATT/KH0を運用するJA3AER筆者。(右)広いバックヤードに建てた3本のアンテナ。

私はトータル1,200局余とのQSOでしたが、KH0/JA3APU直原興三氏を中心に、全員ではWARCバンドを含むHFバンドと50MHzのSSBとCWを合わせると、5,000局近いQSOでした。帰国すると既に何枚かのQSLカードがダイレクトで届いていて驚きました。またJS1DLC荒川謙一郎氏からは、我々の交信の様子を録音したオーディオテープが届けられました。(2000年6月記)」


写真9. N2ATT/KH0筆者のQSLカードの表と裏。


写真10. (左)バックヤードで記念の集合写真。左からKH0/JA3HD野村啓之助氏、KH0/JA3APU直原興三氏、KH0/JH3FFJ今井公一氏、N2ATT/KH0筆者。
(右)サイパン島での運用の写真を展示した2000年10月の河内長野市の文化祭に集まったメンバー。左からJA3AER筆者、JH3FFJ今井公一氏、JA3APU直原興三氏、JA3HD野村啓之助氏。

2000年 (フィジー 3D2EM)

JE1EZM 田淵広禮氏は、フィジーの首都スバで3D2EMの免許を得て運用したと、アンケートを寄せてくれた。 「1996年に取得した免許をFaxで事前に送付して、現地到着時に局免を引き取りに出向いた。責任者は3D2JO, Jyoという方です。 運用はホテルの屋上に仮設のアンテナで運用したが、コンディションが良かったのか10Wのトランシーバーにしては良く飛んでくれました。 アンテナはにわか作りのダブルダイポールで、地上高は30mくらいでした。結果は18MHzから28MHzのCWとSSBで約65QSOでした。 また、VK1ARAと10数年振りにQSOできたのが嬉しかったです。現在パキスタンのカラチ市に滞在中で、以前のコールAP2APの再免許を申請中です。 ここは1.9MHzから28MHzまで出ることが出来ますが、いまだに局免許がこないので、まだ出られません。(2000年4月記)」

「あの人は今(第44回)」JH3FNC村上満氏

JH3FNC村上満氏の英国・スコットランドでのGM0NJPの運用については2018年6月号の(その63)で、ドイツでのDK0IFAの運用については2018年9月号の(その66)で紹介させて頂きましたが、 その村上氏からその頃の状況を含め、近況をお知らせ頂きましたので紹介させて頂きます(写真11~13)。「■海外での運用: 1987年にドイツのデュッセルドルフに赴任、初めての海外生活で、 相互運用協定でDL/JH3FNCの免許を取得し、リグ(TS-440S)や短縮ダイポールもあったのですが、このコールサインではほとんど運用することはなく、 1年後に転勤になりました。移った英国スコットランドとは相互運用協定がなく、学科試験とモールス試験に合格して、1990年にGM0NJPを開局しました。 このころは、日曜日の朝のJAIGオンエアミーテイングの後、ドイツのDF2CW壱岐さん、スウェーデンのSM0HEG笠原さんとラグチューしていました。 この2局の信号は59+でスコットランドに入感していて、日本のことや現地で手に入る食材の話をしたりしていたのを懐かしく思い出します。 2000年からの2回目の英国駐在はロンドンで、G0NJPで少し運用していましたが、それよりもUKに滞在されていた日本人ハムの方達とよくアイボールしていました。


写真11. (左)スコットランドからJAIGにチェックインし、DF2CW壱岐さん達とラグチューをしていた時代に、屋根裏に設置した思い出深いCAP.COのマグネチック・ループアンテナ。まだ所有していて、屋根裏への追加を検討中。
(右)M0OEY関戸氏のお宅でのBBQミーティング。後列左からM0OEY/JO4KRO関戸氏、M0BLD/JA3IPN都築ご夫妻、MM0JVQ/JA5VQ今村氏、M0CFW/JK3GAD渡辺氏、落合氏のXYL、今村氏のXYL(JG5JUS)、村上氏のXYL、越田氏のXYL、村上氏の2nd、G7RMR/JA3BUQ松岡氏、JA9JNT越田氏、前列左からGM0NJP/JH3FNC村上氏、M0DCP/JF1RCY落合氏と2人の子ども達(2004年6月撮影)。

2004年に帰国した後は無線のアクティビティは下がり、2008年から2年間のシンガポール長期出張、2010年からの中国上海赴任中は忙しかったこともあり、海外運用の機会はありませんでした。

■アマチュア無線の再開: 仕事が一段落した2016年、会社の同期の岩永氏(JA6IRK-PockeTech主宰者)からアマチュア無線の話を聞いて思い立ち、東京駒込の2階建てアパートの2階ベランダに釣り竿バーチカルを設置してアパマンハムで無線を再開しました。JH3FNCの免許は継続していましたが、この機会に1エリアの免許JJ1MXRを取得しました。ロケーションは決して恵まれた場所ではありませんでしたが、最近のデジタル通信技術FT8に助けられ、アパート2階のベランダに上げた釣り竿バーチカルで国内7MHzを中心に交信ができました。またD-STARで、普段のJAIGロールコールではつながらないDF2CW壱岐さんを始めとするJAIGメンバーとも久しぶりにQSOすることができました。

■近況: 現在は退職して大阪高槻の自宅にもどりました。ここはロケーションには恵まれているものの、住宅建築協定があるため、相変わらずベランダに設置したステルス釣り竿バーチカルでFT8中心に運用しています。屋根裏には430MHzと1200MHzの八木を設置していますが、高槻レピータJP3YDTへのアクセスに留まっています。


写真12. (左)JH3FNCのシャックにて村上満氏。(中央)ベランダの釣竿垂直アンテナ。
(右)屋根裏の430MHzと1200MHzの八木アンテナ。

時間があるので、古いリグ(TS-440S、TS-780)の修理、調整や、家電品、孫のおもちゃの修理をしたりしていたところ、知人の紹介で、週に2日、八尾空港にあるパイロットを養成している会社で、IT関係のお手伝いをすることになりました。パイロットの養成といえば、今放送中の朝ドラ「舞いあがれ!」の航空学校の世界そのもので、会社では沢山のパイロットの卵達が、セスナや双発機のバロンといった飛行機で、操縦士免許の取得をめざして毎日訓練しています。ここでは、自家用操縦士の資格取得から始まり、多発限定変更、計器飛行証明、事業用操縦士を取得することができ、これらが取得できてようやく航空会社の操縦士採用試験を受験することができます。落語家の桂文珍さんは飛行機を操縦することで有名で、八尾空港からご自分の飛行機で飛んでおられますが、自家用操縦士、計器飛行証明に加え、昨年ここで多発限定変更の試験に挑戦、見事合格されました。

航空会社に入ってからも、まだまだ訓練は続きます。すぐに旅客機の操縦ができるわけではなく、操縦する飛行機の資格を取らなければ操縦席には座れません。パイロットになるための訓練は非常に長い時間とお金がかかります。そのため、この会社での訓練では、実際の飛行機を使う以外にも、FTD(Flight Training Device 模擬飛行訓練装置)と呼ばれるフライトシミュレータを使っての飛行も行っています。FTDは、よく大手エアラインの機内誌に出ているような大掛かりなカプセル状のものではなく、パソコンと市販のソフト(X-Plane)をベースに、大型のモニター5台とコックピットを再現した操縦機器を組み合わせたものですが、ちゃんと国土交通省の認可を受け、これを使った訓練飛行は飛行時間として記録できる本格的なシステムです。このFTDを理解するため、家のMacにX-Planeをインストールし、簡易な操縦桿キットも設置してみました。操縦桿の感覚はFTDとは違いますが、画面はまったく同じです。見様見真似でセスナの操縦に挑戦しましたが、離陸は比較的簡単にできるものの、着陸は難しく、何回もチャレンジしてようやく無事に滑走路に降りられるようになりました。操縦は車の運転とは全く別もので、スピードは早いですが、ゆっくりとした操作が必要なため、わずか数分飛んだだけでも緊張のせいか肩が凝り、その難しさを実感するとともに、飛ぶことの楽しさも体験できました。若い時に知っていたら、チャレンジしていたかもしれません。X-Planeには737など旅客機のシミュレーションも用意されていて、楽しんでおられる方が多いようです。ただ、国際線で日本から飛び立つと、現地に到着するには同じだけの時間がかかるため、慣れた方は巡航の間オートパイロットにして、外の景色を楽しみながら、お茶を飲んだりされています。我が家のフライトシミュレータですが、737どころではなく最近は遊びに来た孫達のおもちゃになっています。(2022年12月記)」


写真13. 我が家のX-PlaneをインストールしたMacに、簡易な操縦桿キットを設置したフライトシミュレータは、孫たちのおもちゃになっている。

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