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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その108 「あの人は今」でVU7RGの運用の思い出を語る 1997年(4)

JA3AER 荒川泰蔵

「あの人は今」でVU7RGの運用の思い出を語る

今回はオセアニアの続きですが、オセアニアを含む世界の各地でアクティブに運用されたJR3MVF三好京子さんに、「あの人は今」のコラムで中国でのBT4YL運用時の思い出の他、インドの離島、ラクシャディーブ諸島へのDXペディションでVU7RGを運用した時の思い出を語って頂きました。

1997年 (北マリアナ諸島 AH0R, KH0/JA1BUI, KH0/JA1YEM, KH0/JH6VLF)

JA1BUI古田昌弘氏は、ニッポン放送アマチュア無線クラブJA1YEMのメンバー達と、夏休みにサイパン島からQRVしたと、アンケートに別紙の長文の原稿を寄せてくれたので、その要旨を一部抜粋で紹介します(写真1及び2)。「8月29日から9月2日まで、サイパンより1.9MHz~28MHzまでのCW, SSB, RTTYで運用しました。KH0/JA1YEMは臨海副都心お台場でひときわ目立つ球型展望台と丹下健三設計のビルに移転したニッポン放送のアマチュア無線クラブ局です。日頃は、1242kHz, 100kW, AM変調で「青春花吹雪」をまき散らし、AMラジオ新時代をアピールしていますが、その存在をPRしようと、有志で海外から運用し、メンバーの腕自慢と、フラストレーションの解消と洒落てみたものです。5月下旬に相互運用協定によるFCCのライセンスを申請、JA1YEMをはじめ、運用メンバー4名(JA1BUI, JA1DHY, JA7NJN, JA2BWH)のライセンス取得も完了しました。


写真1. (左)JA1BUI古田昌弘氏の相互運用協定によるFCCの免許状と、(右)KH0/JA1BUIのQSLカード。

7月より持参するリグIC-706、ATUのAH-3などのテストを行い、ハムフェアで最終チェックと慌ただしい日々でした。8月29日に成田発NW-062便で出発、3時間50分の空の旅で、時差1時間のサイパン島に到着しました。荷物を確認後送迎バスでホテルへ、しかし外は生憎の雨と風、熱帯性低気圧の影響で、アンテナの建設が心配になりました。案の定、サイパン・ダイヤモンドホテルのマネジャーより風速40mの予報があり、アンテナ建設は明朝にと説得され、12階の特別室へ案内されました。仕方なく、小型アンテナをベランダに取り付けて、21MHzを聞くとJAが入感、JA2BWHが早速SSTVの第一声、送信デジカメ画像のF5シグナルの音が聞え、それに負けじとCWでトライする元気な若手がいささか羨ましい。小生も3.7MHzでVK4FWに続いてJA7DZAと交信出来て安心した。

翌8月30日(土)も雨、風は朝まで残り嫌な予感、朝食を済ませ、天候の回復を待って、持ってきた機材を屋上に運び、ホテルのスタッフの協力も得て、14MHzデルタループ、40mのロングワイヤー、50MHz用HB9CVを1時間半で建設した。


写真2. (左)アンテナを屋上に建てたKH0/JA1YEMのメンバーとホテルのスタッフ達と、(右)そのQSLカード。

事前に連絡しておいたAH0D, Tony、KH0CE, Aceから電話や24MHzでの挨拶、KH0Y, Rodとは31日にアイボールを約束。Tonyは島内ガイドをスケジュールしてくれた。KH0I, Larryは、彼が管理する144MHz帯のレピーターで連絡出来準備は万全だ。

さあやるぞとKH0/JA1BUIで3.7MHzのSSB DXウインドウを覗く、JA7DXSと交信後パケットクラスターに掲載され、次々とコールが続く、30局を終るとノイズの上昇で断念し7MHzにQSY・・・。31日までに6大陸と交信、1,000局は見えたぞ。只、残念なのは50MHzのオープンが無かったことでした。計1,345局で今回のDXペディションは終了しました。JA2BWHはこの間、SSTVでKH0サービスを130局へ、と大変努力された。9月1日はレーバーデーの休日、KH0I, Larryにタスコ提供のSSTV機材を贈呈し、JA2BWHが技術指導、HL1AQと1st QSOを無事済ました。現地人局としては1st SSTV QSOでもあった。今回は感激的イベントになりました。運用をまとめ、DXCCデスクにドキュメントを送り、後はQSLを待つのみです。(1997年9月記)」

JH6RTO福島誠治氏は、北マリアナ諸島のロタとサイパンで、AH0Rとグレードアップしたコールサインで3度目の運用をしたと、アンケートを寄せてくれた(写真3)。「1995年11月、1996年7月のIOTAコンテストに引き続き、北マリアナ連邦からのQRVは3度目です。今回はサイパンへの妻の観光と、30年来の友人JH6VLF松山OMに無線をエンジョイして貰うのが目的でした。1997年9月12日から14日までは、ロタから無線優先の生活、9月14日から16日までは、サイパンで観光優先の余暇でした。準備した機材は、IC-706、FT-900、GP、DP、SSTVでしたが、都合によりSSTVは出られませんでした。主として、7, 10, 18, 21, 24MHzで運用しました。9月前半は突然ソーラーフラックスが上昇し、24MHzでは“これがただの北マリアナか?”と驚くようなコールをJAから頂きました。QSO総数はKH0/JH6VLF、AH0R共に約500局ずつでした。私にとってもロタは初めての島で、久々の僻地リゾートを体験しました。瞬断はありますが、概ね24時間電源の供給は大丈夫でした。ロタはカントリーの立場でも、IOTAの立場でも目新しいところではありませんが、グリッドだけ違います。サイパンはQK25、ロタとテニアンはQK24です。(1997年10月記)」


写真3. AH0R福島誠治氏のKH0/JH6VLF松山雅典氏と共用QSLカードの表と裏。

JH6VLF松山雅典氏は、北マリアナ諸島からKH0/JH6VLFで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真4&及び5)。「ロタ島: コーテージタイプのホテルでアンテナ設置スペースに恵まれました。ここに7~28MHz用バーチカルと、14MHz用のツェップを設置しました。リグはYAESUのIOTAセットのFT-900です。各バンドそれなりのパイルを受けましたが、7MHzのCWはドッグパイルになりました。


写真4. (左)JH6VLF松山雅典氏の相互運用協定による免許状。(右)KH0/JH6VLFを運用したホテル。
バックヤードに7~28MHz用の垂直アンテナと、14MHz用ツェップ及び18、24MHz用のDPを水平に張った。

サイパン島: ホテルのベランダに、モービルホイップを設置して運用。6階でしたので、地上高が稼げたため、21MHz, SSB, CWで、JAからコンスタントに呼ばれました。ホテルの屋上に八木等のビームアンテナが建てられれば、JAからのパイルになるかも知れません。

日頃はアパマンハムですので、大変FBなストレス解消になりました。DX Ped.はちょっとと思っていましたが、今回の様なDX Vacationなら、何回でもやりたいですね。今回の運用は初めての海外運用でした。なお、今回の運用はAH0R(JH6RTO)福島誠治氏の協力と助言により、成功を収めることができました。(1997年11月記)」


写真5. KH0/JH6VLF松山雅典氏のAH0R福島誠治氏と共用QSLカードの表と裏。

1997年 (グアム AH2/AH0R)

JH6RTO福島誠治氏は、新しいコールサインAH2/AH0Rで、グアム島から運用したとアンケートを寄せてくれた。「バニティコールにてAH0AVからAH0Rにコールを変更し、その初めての運用に4月11日から14日まで、グアムに出かけて運用しました。QSO(約300局)の半数は、JIDXコンテストのハイバンドCWの運用です。1995年4月からこのコンテストは毎年グアムから参加しています。年をおうごとにメジャーなコンテストに成長しているようです。海外運用を始めて3年経ちますが、ますます楽しみを感じています。毎夕1時間ずつくらいですとXYLの理解も得られやすいです。(1997年6月記)」

1997年 (ミクロネシア連邦 V63CP)

JH1BLP佐野章氏は、CQ誌編集部を通じて、ポナペでV63CPの運用をしたとアンケートを寄せてくれた(写真6~7)。「昨年の10月に続いて二度目のポナペです。前回は準備が悪く、18メガを運用することが出来ず残念な思いをしましたので、先ず18メガのアンテナを上げると共に、同行したV63CV(JP1WDM)にSSBのオペレートを任せ、3.5メガをはじめ他のアンテナを上げる作業に専念。パームツリーに途中までハシゴを掛け、そこから少しよじ登って張った3.5メガバンドの水平ダイポールは、SWRも良く満足な仕上がりでしたが、木登りを手伝ってくれた現地のホテルマンが、せっかく張ったワイヤーを下ろして、カット&トライをする様子にあきれ顔。ホテルの中庭に具合よく育ったパームツリーに何本ものワイヤーロープが張られてゆくのを遠目に眺めていました。


写真6. (左上)V63CPを運用する佐野章氏。(左下)チャーターしたモーターボートから見た世界遺産のナン・マドール遺跡。
(右)V63CP佐野章氏の免許状(感熱紙のコピーで退色してしまった)

3.5メガをワッチするも、大変な空電ノイズ。リニアアンプもチューニングしたものの、ノイズがおさまるのを祈るのみ。そして、用意した1.9メガのワイヤーは未だにロール状態で、持参した特大のアース棒も転がったまま。ローバンドのリクエストに応えようと思っていましたが、夜中までノイズがおさまらずNG。それでも7メガCWでは、ヨーロッパからの厚いパイルは大変なものでありました。特にこちらからCQを出さずにコールした場合など、QSOが終了する前からパイルアップになる有様で、一体何が起こったのであろうかと思う程。トップレターやプリフィックスを指定しても全然効果がなく、独立した符号であるべきが、長音の継続になる始末。慣れたというもののV63というコールは打ちづらい符号でありましたHi。コールして頂いたOM諸氏VY TNX 73 (1997年4月記)」


写真7. V63CP佐野章氏のQSLカードの表と裏。

1997年 (パプアニューギニア P29VIG)

JA3IG葭谷裕治氏は、パプアニューギニアで免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた。「パプアニューギニアとは相互運用協定がありませんので、米国のK1NTの免許をベースにP29VIGのコールで免許を得、1997年2月7日から10日までAdmiralty諸島の中のManus島(OC-025)で運用、約1,600局とQSOしました。コールサインのVIGのVは、ビジターのVです。CNNのニュース等で見ると、首都ポートモレスビーでは暴動が起きている様で、今はDXペディをお勧め出来ません。(1997年4月記)」

「あの人は今 (第33回)」JR3MVF三好京子さん

世界各地で開催されたYLミーティングや、SEANETコンベンションに参加され、クラブ局や特別局をアクティブに運用して来られたJR3MVF三好京子さんの、ベトナムでの3W6YLの運用については、(その103) 2021年10月号に紹介させて頂きましたが、その他にもご主人(JA3UB三好二郎氏)と共に多くの国々で運用してこられた三好京子さんから、その時の思い出などを含め、近況をお知らせ頂きましたので、ここに紹介させて頂きます(写真8~14)。「今までに30カントリー余から運用してきましたが、現在の厳しい環境では今後ペディションに出かけることは難しいのではと痛感しています。海外での運用は全て素晴らしい経験と思い出ばかりですが、その中で強く印象に残っている運用についてお話したいと思います。やはり一番の思い出は1988年3月に運用したBT4YLです。中国のアマチュア無線局が数局しかなく、ましてYL局の運用は初めてでした。大阪と上海が姉妹都市の関係もあり、特別にBT4YLというコールサインが許可されました。無線の楽しさを私に教えてくれた思い出の局です。この局の運用場所であるBY4AA局に、当日続々と集まってこられる人々を見て、どんな方々なのか最初はわかりませんでした。後でお話をしてみると中国各地からこの運用を見学するために集まった中学、高校そして大学の物理など、理系の先生方でした。BY7から来たといわれた方は、乗り物を乗り継いで約2日がかりで来たとのことで、びっくりしました。運用が始まると多くの方々がヘッドホンで運用をワッチし出したのです。アマチュア無線がどんなものなのかを始めて体験されたようでした。その後、中国各地でアマチュア無線が大きく広がった第一歩だったと思います。運用はというと第一声を発したとたん、ドーンという大きな塊が一斉にヘッドホンに押し寄せてきたようでした。とても信号を聞くという感じではなく、ただただ大きな塊がとめどなく聞こえてくるのです。その後のペディションでも、このような経験は一度もありませんでした。


写真8. (左)BT4YLを運用する皆さんと、(右)そのアンテナの整備。


写真9. (左)BT4YLを運用した皆さん(前列中央が三好京子さん)と、(右)そのQSLカード。

次に思い出深い運用は2007年1月に運用したVU7RGです。開局までには紆余曲折があり、その多くの場面に立ち会うことができたのも思い出です。当時Wantedカントリーの上位に位置するLakshadweepでの運用許可の取得はとても困難でした。多くの情報交換の後、デリーのPTTオフィスに海外から参加するEU, USそしてAsiaからの世話役3名とインドのNIAR(National Institute of Amateur Radio)の責任者が早朝から出かけ、各部署を順番に回り申請の趣旨説明をしました。最後にミーティングルームでPTTのNo.2の方と許可権を持つ多くの責任者、その中には軍の将校等も並んだ中で、“どうして島での運用をしたいのか? なぜ本土内ではダメなのか”などの質問がなされました。答えを理解してもらうのが難しく、とても緊張したミーティングでした。そこでの会合の後、今度は許可権を持つ7名の責任者に承認の署名を貰いに回るのです。これはすぐにはできないので、NIARの責任者が時間をかけて回られました。7名の署名をもらうのが許可の条件だったのです。最後にLakshadweep島の責任者の署名がなかなかもらえず、時間ばかりが過ぎていきました。海外からの運用希望者やオンエアーを待っている多くの方々にはそのような状況は殆ど知らされていませんでしたので、どうして許可が遅いのかと声が多く寄せられました。私どもにはNIARの責任者からいろいろな情報が寄せられました。NIARはハイデラバードにあるので何度もデリーまで出かけなければならないし、各担当の責任者に会うために出かけるなどいろいろな費用の問題もありました。私は、たまたま2006年インド、ムンバイでのInternational YL Meetingに参加する為に出かける事になりました。急遽その会合の後、LakshadweepのAgatti島へNIARから2名、それにJA3UBと私の4名で署名をもらいに行くことになりました。なにしろ急なことで島へ渡るための1日に1~2回しかないフライトで、12名乗りの小さな飛行機の予約が取れず、空港で長時間待機してキャンセル待ちをしました。やっとの思いで島に到着し、最後の署名をもらった時は、感無量でした。いよいよ全ての許可がおり、1月の運用を前に世界各地からOperatorsが一堂に会しましたが、その時点でもいろいろな事がありました。その中の一つが、3つの島に分かれての運用なのですが、そこに行く船がいつ出るか分からないとの情報でした。約1000名が乗船する大きな船で、Lakshadweep島の人々が日用品の運搬や移動に使う船です。定期便であって定期便でないのです。やっと出発日時が決まったのですが、今度は乗船人数に問題が起こりました。最後はなんとか全員が乗船できたのですが、船の上での想像を絶するいろいろな事は、私にはなかなか理解できない事ばかりでした。無事に運用ができ、多くの方に珍局をサービスできたのは、本当に良かったと思います。この運用に関しては、書面ではできないお話が多くありますが、凄い経験の連続でした。VU7RGは国際チームによる運用でしたが、インドの人だけで運用するVU7MYも同時に開局しました。VU7MYの責任者VU4RBIからVR7RG閉局後にVU7MYでの運用のお誘いも受けましたが、これ以上の参加はできないと判断しました。


写真10. (左)インド本土COCHINからVU7への船。
(右)インドの主催者が3島に分かれている運用地点を表敬訪問、三好さん達が運用する島へは小舟で6時間かけて来られたと。


写真11. (左)VU7RGを運用する三好京子さん。(右)島の総ての電気を賄っている発電施設。


写真12. COCHINで全員参加のさよならパーティ。中央の額縁の後ろが三好京子さん、左へ2人目がご主人の三好二郎さん。


写真13. VU7RG三好京子さん達のQSLカードの表と裏。

最後に、最近色々な資料を整理していて1枚のQSLカードを発見しました。1977年6月にJYのHussein国王のSilver Jubileeを祝った特別コールサインのQSLカードです。沢山の思い出のあるアマチュア無線を、今後も自分のペースで続けたいと思っています。(2021年7月記)」


写真14. JR3MVF三好京子さんがQSOして得られた、フセイン国王のSilver Jubilee を祝った特別コールサインJY25ZZ+NAのQSLカードの表と裏。

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