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今月のハム

JO3TND 足立太郎さん

2023年8月15日掲載



足立さんと次女奈穂さん(JARD HAMtte交信パーティー2023冬で体験運用に参加しMasacoさんと交信)

兵庫県神戸市在住の足立太郎さん。無線通信の会社で働きながら、ボーイスカウトではアマチュア無線の指導も行っている。足立さんのシャックがある兵庫県小野市を訪問してお話を伺った。

頂いた名刺には、「遠隔制御所」と「送信所」との表記が? 「今日お越しいただいたこちらは送信所で、普段は遠隔制御所と書いてある神戸の自宅からリモートで運用しているんですよ」と、本業のような表記に納得してしまいました。

電気、電波との出会い

・小学生の頃
小学生3年の頃から、ラジオや当時流行ったMSXパソコンなどで電気や電波に慣れ親しみ、ラジオのダイヤルを回していると遠くの色々な放送局が聞こえてくることに興味を持ったそうだ。

足立さんによると兵庫県小野市は、「そろばん」と「ひまわり」で有名であるが、かつて東洋一の国際無線の受信所(※1)として1937(昭和12)年3月に対天津・北京回線のために東京から移管され受信業務を開始した小野受信所が設置されており、無線通信の世界でも有名な場所でその様子は足立さんの母校である小野市立小野小学校の校歌にも歌われている。


小野受信所の85m級鉄塔などが何本も建っていた (小野市提供)


小野受信所門柱プレート (足立さん提供)

※1 当時、日本国内の国際無線通信には大阪系と東京系の2系統があり、大阪系は大阪中央電信局を中心とし依佐美送信所(愛知県)、小野受信所(兵庫県)、東京系は東京中央電信局を中心とし小山送信所(栃木県)、福岡受信所(埼玉県)。通信地域は、大阪系はヨーロッパ(ロンドン、パリ、ベルリンほか)とアジア(ムンバイ、上海、ベイルートほか)、また東京系はヨーロッパ(ローマ、アムステルダム、オスロほか)と北南米(サンフランシスコ、メキシコシティ、リオほか)であった。


小野市立小野小学校の校歌。2番に「空にそびえる 鉄の塔」とある
(小野市立小野小学校のウェブサイトより)

1953年には、国際通信業が民営化され「国際電信電話株式会社(現KDDI)小野受信所」となり、朝鮮戦争勃発やサンフランシスコ講話条約締結により日本が国際社会に復帰したことで通信回線が増加。その後、1964年の東京オリンピックをきっかけに太平洋ケーブルが開通、さらには衛星通信などの新しい通信技術が次々と導入され、1990年に受信業務を終了し、小野受信所はその役割を終えました。(厳密には、KDDIからNTTドコモに譲渡されたマイクロ無線設備が残っており2009年まで運用されていた。その停止操作は奇しくも足立さんがされたそうだ)

・中学生の頃
その後、中学校に入学すると部活動(放課後などに毎日行われていた)ではテニス部に入り、授業の一環である週に一度のクラブ活動ではBCL(※2)クラブに入り、ベリカードに魅せられて電波への興味が深まっていった。そのころ入団していたボーイスカウトのイベントであるJamboree On The Air(JOTA)(※3)に参加するために先輩スカウトの家を訪問したのがアマチュア無線との出会いで、当時は無資格であったためSWL(※4)で参加したそうだ。


初めて参加した第27回JOTAの参加証

※2 Broadcast Listening (放送を受信して楽しむ趣味)
※3 世界スカウト機構が主催し、国内各地や世界中のスカウト仲間と交信し、お互いを理解し、知識や友情を深める公式国際行事で1957年より行われている
※4 Shortwave Listeningの事であるが、アマチュア無線ではアマチュア局同士の交信を受信し記録する部門

そして電話級アマチュア無線技士の国試を受験しようと、(現在も所持している)「新アマチュア無線受験マニュアル(電波新聞社刊)」を購入し試験問題などを確認したが、内容が難しかったのと、当時住んでいた兵庫県小野市から試験会場のある大阪へ行くのは、中学校1年生には大変であったため断念したそうだ。


アマチュア無線を志したときに手に入れた「新アマチュア無線受験マニュアル」。現在も所有している

思いが再燃

中学3年生の時、ボーイスカウトのイベント第9回日本ジャンボリー(宮城県白石市)に参加した時に、特設局8J7BSJを見学したことで、アマチュア無線をしてみたいという思いが再燃した。

翌年地元の工業高校に入学すると、1987年に電話級アマチュア無線技士の資格を取得し、学校のクラブ局JA3YDWの仲間と、クラブ局からALL JAコンテストや全市全郡コンテストなどに参加してアマチュア無線を楽しんだ。さらにアルバイトなどでためたお金を握りしめて、当時大阪日本橋にあった家電量販店ニノミヤへクラブ員の仲間と無線機を買いに行き、1987年12月には個人局JO3TNDを開局した。個人局開設後には近くの山へ行き6m AND DOWNコンテストに参加もしたと話す。

クラブ仲間などとラグチューを楽しんでいた高校3年生の春頃、近所に住む3つ年下の中学生アマチュア無線家が第二級アマチュア無線技士に合格したと聞き、「これではいけない」と電信級アマチュア無線技士(現在の第三級アマチュア無線技士)の資格取得のため、わずか1分間の試験のために大阪まで出掛け無事合格できた。当時は電話級アマチュア無線技士の有資格者は1分間の電気通信術の受信試験にパスすれば電信級を取得することができた時代であった。


高校3年生に取得した電信級アマチュア無線技士の従事者免許
免許証番号に注目! 「599」は、だいぶあとで気付いたそうだ

また高校生の間には、「ラジオの製作(電波新聞社刊)」に掲載されていた、144MHz帯のリニアアンプを作製されるなど、足立さんは周辺機器の自作も行っていた。



高校生の頃に作製した144MHzリニアアンプ

資格のステップアップ

高校を卒業し、就職した最初の年の1990年10月期の国試で第二級アマチュア無線技士を取得(年2回、4月と10月に試験が行われていた時代)。さらに1996年4月には第一級アマチュア無線技士を取得した。

就職後、業務で必要な無線従事者試験を受けているうちに、たまたま第四級海上無線通信士を取得した際に、免許番号が1番であったことから「これだ!」とばかりに、その後取得していった資格では無線従事者免許番号の1番を目指すようになったと話す。


第四級海上無線通信士を取得した時に偶然にも免許証の番号が1番だった

そして現在では、無線従事者免許全23種中19種を取得しているが、運よく免許番号の1番を取得できたのは合計4つだそうだ。


その後取得できた免許証番号1番の無線従事者免許

海外運用へは超お手軽に

足立さんはこれまで何度か海外で運用しているが、日本の免許をベースに「超お手軽」に相互運用協定を利用したり、現地の試験を受けずに日本の免許をベースに現地の免許を発行してもらうスタイルが、ポリシーだそうだ。

初めての海外運用は、1996年8月に韓国の江原道(カンウォンド)にある雪岳山(ソラクサン)で開催された第17回アジア太平洋地域ジャンボリーに参加した時だった。このジャンボリーの局のコールサインは2つあり6K17APJと6K96APJで、海外からの参加者が運用できるのは6K17APJの方だった。期間中はよく運用を行ったそうである。


第17回アジア太平洋地域ジャンボリーの記念局前にて

1997年2月には、香港のVR2SS河津基さんのシャックを訪れ、中国への返還期の特別コールサインVR97SSで運用を行った。足立さんが訪れる前の週には、JK2VOC福田さんと7L1FPU中田さんが訪れ運用していたそうである。このときの様子は本誌2021年12月号海外運用の先駆者達 その105 1997年(香港VR97SS)の項でも紹介されている。


VR2SSの設備を使いVR97SSを運用中の足立さん

同年10月には、台湾の高雄市(Kaohsiung)に滞在する7M1STT鈴木さん(現在BV1EL)宅を訪れ、テンポラリライセンスでBV7/JO3TNDを運用した。またこの時は台湾でもJOTAの運用が行われており、BV0BS○(○には運用する地名の頭文字が入る)のコールサインでCTARL(Chinese Taipei Amateur Radio League :台湾のアマチュア無線連盟)の協力により各地から運用されていた。足立さんはパソコンショップの店先でJOTAの運用を行っているBV0BSK(Boy Scouts Kaohsiung)に参加した。


前列中央が足立さん。右側には店舗の商品が並んでいる前での運用であった


運用記念のQSLカード

1999年12月、マカオに無線運用に行ったときにも、日本の免許をベースにテンポラリライセンスXX9T〇〇で運用できるとわかりXX9TNDのコールサインを取得して運用した。この時の様子は、本誌2022年10月号 海外運用の先駆者達 その115 1999年(マカオ)の項でも紹介されている。その後足立さんは、HS、KH0、KH2や、再度VR2などでも日本の免許をベースに現地で運用した。


2000年11月にタイのパタヤで開催されたSEANETに参加した際には記念局E27SEAを運用した
当時の最高級機IC-781にびっくり!

ボーイスカウトでの活動

これまでスカウト仲間の協力により海外での運用を行った足立さんだが、今までお世話になったお返しとしてボーイスカウトの無線活動に積極的に協力している。まず1994年8月に大分県竹田市の久住高原で開催された第11回日本ジャンボリーで運用された8J6BSJから、初めてボーイスカウト活動による記念局の運営に携わるようになった。


第11回日本ジャンボリー特設局8J6BSJ

2015年7月28日~8月8日に山口県山口市のきらら浜で開催された第23回世界スカウトジャンボリーでは8N23WSJの企画から計画、運営に携わった。この時は今まで海外のジャンボリーでお世話になった恩返しと思い、海外からの有資格者のスカウトたちにも運用できるようにと奔走した。期間中は四六時中記念局のテントに詰め、会場内から訪問する世界中のスカウトたちの運用をサポートした。


JOTA Organizer PA3BAR Richardさんと足立さん


世界中から集まった8N23WSJのスタッフ
まさに多国籍チームによるDXぺディションのようだった


また会場内で行われたARISSスクールコンタクトもサポートし暑い夏となったそうだ。この時の様子は本誌2015年9月号で紹介されている。

近年では、毎年10月に行われるJOTA(Jamboree On The Air)など、Radio Scoutingを推進するための企画や、そのための申請や運営に携わり、JH3YBS、8J3YBS(ボーイスカウト兵庫連盟無線局)での活動を行い、小野市で行われたARISSスクールコンタクトにも携わった。


兵庫県小野市で開催されたARISSスクールコンタクトのQSLカードとワッペン

海から陸へ プロとしての仕事とアマチュア無線のつながり

高校を卒業後、足立さんは日本船舶通信株式会社に就職した。この会社は日本電信電話公社(のちのNTT)の関連会社で、日本の移動通信の先駆けであり、関西では六甲山などの標高の高いところに基地局を設置し、海上を航行する船舶から電話をするための港湾電話、船舶電話(※5)としてのサービスを行っていた。


左:船舶電話移動機(NS-1号) 右:港湾電話移動機(SQ-10W)
1953年 日本最初の移動通信サービス、港湾電話サービス提供開始
1964年 内航船舶電話サービス提供開始

※5 当初は150MHz帯のちに250MHz帯、そして現在では通信衛星「N-STAR」を利用した衛星船舶電話となっている。また日本船舶通信株式会社は、2000年にドコモ・センツウと社名が変わり、2008年にドコモグループ内で再編され現在に至っている。

就職して4年経ったころ、足立さんは無線とは関係のない部署で働いており、専門のことを勉強したいと思って大阪工業大学の社会人枠を受験し無事入学、昼は仕事をしながら夜は大学で勉強をしていた。授業ではパケット通信ハンドブックの著者のJR3KEG山内教授による講義もあったので特に一生懸命聞いていた記憶が残っている。また当時所属していたアンテナ関係の研究室には、後に会社の組織変更により所属するドコモ関西のアマチュア無線クラブ(2017年11月号で紹介)の先輩がいたそうだ。

社会人生活と学生生活を並行していたころ、ちょうど地上の船舶電話(アナログ)から衛星電話へと移り変わる時期で、足立さんはその業務を行うようになった。沖合の揺れる外航船に乗って、マストの天辺に昇ってアンテナの作業をしたこともあった。アマチュア無線のタワーは、揺れはあるものの根元が固定されしっかりしている。船のマストは、船全体が揺れているので非常に怖かったという。

大学を卒業して20代の後半に差し掛かるころには、転勤によって関東へ赴任し、携帯電話の基地局の設計やメンテナンスなどを担当した。その後、1998年8月に神奈川県横須賀市にある横須賀リサーチパークにあるNTTドコモ R&Dセンタへ転勤した。当時世の中では携帯電話がアナログ(1G)からデジタル(2G)へ移行完了を間近に控えたころであったが、ここではその次世代の大量データ通信や動画を扱うことができる、3G(W-CDMA)の移動機の開発に携わった。


3G(W-CDMA)の開発を伝えた記事。受話器を持っているのが足立さん
(当時の雑誌広告 足立さん提供)

その後、ドコモ初の国際ローミング対応移動機(GSMとIMT両方に対応)の開発を担当した。海外での試験では、以前にアマチュア無線のために訪れた香港や韓国へ行き、土地勘がある中でフィールド試験を行ったという。その後は関西に戻って勤務している。

足立さんは、いろいろな転勤先や仕事場でアマチュア無線家と巡り合った。新入社員研修の横浜ではCQ誌のDX欄7MHz EditerをされていたJA1局、同期入社のJE1局とJF8局、無線機器の認定点検先でパケット通信の本を執筆された2文字コールの珍しい名字のJA3局、仕事場のロッカーに自分のQSLカードを貼っていた先輩のJK1局、新入社員の私にいろいろ教えてくれたJR4局、残業中に「ちょっと足立くん来て」と部長席に呼ばれ、自局のシャックとご自身が表紙となった最新号のCQ誌をネタに無線談義が止まらないJA1局、釣りバカ日誌のように社長と平社員のような関係なのにアマチュア無線が縁で気楽に話のできるJA3局とJQ3局、40年以上続く社内のバイクのツーリング仲間のほとんどが実はコールサインを持っていた etc.

また横須賀リサーチパークで勤務していた頃は、リサーチパーク内の別の企業に勤務していたJA1BNW廣島さんに誘われ、JN1YRP(横須賀リサーチパークアマチュア無線クラブ)に所属した。この頃は平日は業務で無線に携わり、休日はアマチュア無線で他の企業の無線仲間と交流を行ったという。

関西に戻った後も、足立さんがアマチュア無線をしている事に気付いた社内のアマチュア無線家の誘いでJA3YRA(ドコモ関西アマチュア無線クラブ)に所属するきっかけとなり、前述の大学の研究室の先輩と再会したと話す。

また、会社業務としてアマチュア無線に関わることもあったという。会社創立25周年の「社員の夢を応援」の企画で勤務先のNTTドコモの協力により岐阜県各務原市立那加中学校で2018年1月22日にARISSスクールコンタクトが実施された際、足立さんはマイクコントローラを務めた。以前より子供たちに国際宇宙ステーションとの交信を通じて無線技術や科学技術に興味を持ってもらいたい、という足立さんの夢がかなったイベントであった。(詳細はJARLウェブサイトに紹介されている)

そして2025年に行われる大阪・関西万博の記念局開設では、アマチュア無線を知っている携帯電話事業者の立場で協力している。

まとめ

アマチュア無線のおかげで人生が楽しく過ごせていることに感謝!
高校から続けているアマチュア無線によるつながりで、ボーイスカウトや仕事上でもいろいろな仲間が増え、たくさんお世話になったので、これまでお世話になった恩返しとして後進へのサポート(ボーイスカウトのJOTAや、その他のアマチュア無線関係のイベント)などを続けていきたい。また今回訪問した小野市にある自局送信所の設備を1kWへ増力することや、タワーやアンテナの増強など設備のグレードアップにも取り組んでいきたいと話す。


左:記念局6K25WSJ 右:HL4/JO3TND
2023年8月に韓国で開催された、第25回世界スカウトジャンボリーを訪問し運用

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