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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その114 太平洋や大西洋の島々での運用 1998年(4)

JA3AER 荒川泰蔵

太平洋や大西洋の島々での運用

今回は1998年のオセアニアと北米です。オーストラリアと米国の他、太平洋ではパラオ、サモア、米領のサイパン島、それに大西洋では英領のバミューダ島での運用の紹介です。尚、今月の「あの人は今 (第39回)」は、JA2FGE澤木利氏氏とJH2BXB(ex.JP1TPZ)澤木逸子さんご夫妻の紹介です。

1998年 (オーストラリア VK4DTS)

JA2FGE澤木利氏氏は、オーストラリアのケアンズに旅行中、VK4DTSの免許を得て運用したと、手紙でレポートしてくれた(写真1)。「免許は1988年11月8日から1999年4月3日までの期間でした。本格的な運用はできず、JAとはQSOできませんでした。たしか数局のローカル無線局と2メーターでQSOしただけでした。この免許はホテル近くのACA (Australian Communications Authority) のCairns Officeに行って、30分ほどで発行してもらいました。申請に利用したのは米国のExtraクラスKR7TのFCC Licenseのコピーと、発行手数料だけでした。この時のACAの担当者は素敵な女性で、親切に対応して頂ました。(2014年12月記)」


写真1. VK4DTS澤木利氏氏の免許状の表と裏。

1998年 (パラオ T88ND)

JA4DND松浦博美氏は、パラオでT88NDの免許を得て運用し、80m~6mのCW, SSBで約2,000局とQSO出来たと、アンケートを寄せてくれた(写真2~4)。「5名のグループで運用(QSLカード参照)。T88NDとT88AJはVIPホテルより運用、その他はニッコウ パラオ ホテルより運用した。免許は5名分まとめて、今石氏(T88IY: 現在は既に帰国)に代理申請を依頼。空きがあれば希望のコールサイン(但し、特別な場合を除いてT88xxスタイル)が取得可。有効期間は1年で更新可能。今後は直接申請になろう。JAの2級以上はGeneralで、4級以上はTechnicianとなる。申請に必要な書類は、1. 申請書(希望コールあれば記入)、2. JAの従事者免許証と局免許状(英文)、日本文のコピーも添付した方がよい。3. SAE + 60c Stamp (Palau)、4. 申請代は不明、5. 旅行予定表、6. パスポートのコピー(あった方がよいと思う)。(1998年9月記)」


写真2. (左)VIPホテルの無線室にて、左からJA1BRK米村太刀夫氏、JA4DND松浦博美氏、JR1MLU安藤広基氏、JA1ANR(ex.7N3AWE)石原孝友氏と後ろに立つJA1HGY間下尚彦氏。(右)T88ND松浦博美氏達のQSLカードの表と裏。


写真3. T88ND松浦博美氏の免許状の表と裏。


写真4. T88ND松浦博美氏達が使用したパラオの免許申請用紙の表と裏。

1998年 (サモア 5W1SA)

JI3WLT佐久間厚生氏は、仕事で駐在中のサモアの首都アピアから、5W1SAの免許を得て運用しているとアンケートを寄せてくれた。「1998年5月から、2001年の3月までの3年間駐在の予定で、160m~6m, CW, SSB, RTTY, FM, AMで運用し、1999年4月末までに延べ7,500局とQSOしました。免許の取得方法: 日本の従事者免許証、無線局免許状の各英文証明書を中央郵便局2階のエンジニアリングセクションに持っていき、コールサインを発行して欲しい旨伝え、税金15タラ(約1,000円)を支払えば即発行して貰えます。日本の免許の他、先進国の免許は総べて受け付けてくれる様です。免許はオールバンド、オールモードで、100W出力です。運用状況: 地上高3m程度のDP+100Wで運用していましたが、40m~10mまで余暇を過ごすには十分過ぎる位楽しめています。160m~75mは高さが無い為か、全く飛びません。6mは6エレ八木を6mの高さに上げ、1999年3月の20日間程で、CW, SSB合わせて500局以上QSO出来ました。1999年4月中旬に住居を失ったため、只今停波中。昨年の経験から、ヨーロッパが面白い時期なのだが、仮住居の為アンテナを設置出来ず、非常に残念である。現在5Wからオンエアーしているハムは、時々来る旅行者を除いては皆無である。少なくとも首都アピアでは、5Wのコールサインは聞えて来ない。(1999年5月記)」

1998年 (北マリアナ諸島 AH0R, KH0/JA6CBG, KH0/JH6BYV)

JH6RTO福島誠治氏AH0Rで、北マリアナ諸島のサイパンで4度目の運用をしたと、アンケートを寄せてくれた(写真5及び6)。「4月10日夜便発、4月13日午後便帰国で、XYLとサイパンへ行って来ました。今回の装備は簡単軽量のJST-245、ホイップ、スキャンコンバーターVC-H1の3点のみです。JST-245は12kgと重いようで、電源、AT何でも入っていますし、梱包せずに機内持ち込み出来るので結構便利です。局数などの釣果はその貧弱施設であることを差し引いてご覧下さい。JIDXは約250QSOで、それ以外が180QSOです。4月11日朝から4月12日朝までのCONDXは非常に良く、21MHz, SSBで、EU 40QSO, NA 10QSOぐらいできています。ちゃんとしたアンテナを建てていたら凄いことだったしょう。SSTVで、JAが1局のみできました。CWのローエッジに調整したアンテナでは、SSTVの周波数でうまく乗らず、廻り込みを起こしたため、サービスはやむなく中止しました。(1998年6月記)」


写真5. AH0R福島誠治氏のQSLカードの表と裏。


写真6. AH0R福島誠治氏のサイパンアマチュア無線クラブの会員証。

JA6CBG湊啓氏は、XYLのJH6BYV湊喜代子さんと共に、北マリアナ諸島のサイパン島で運用したと、手紙にCQ誌の記事のコピーを添えてアンケートを送ってくれた。「いつもCQ誌の記事を楽しく拝見しています。また、OMの日本語版IOTAの資料は大変役に立っています。サイパン島以外にBY7, YB3とYC9等の短時間QRVがありますがゲストオペです。Eye Ball QSOの方が忙しくてなかなか本格的にはやっていません。」とのことですので、サイパン島での運用をCQ誌の記事から要約させて頂きます(写真7及び8)。「私たちが訪れたレンタルシャックでは、ハムを楽しむために必要と思われるものは、すべて準備されていました。アンテナ設備として6mのポールと高さ3mのルーフタワーが、ローテーター付きで用意され、1.9~50MHzまでの10種類のアンテナが貸し出されました。無線機はFT-1000MPとFT-920、それにリニアーアンプFL-7000が貸し出されました。それらを使用して、先ずは21MHzにてCQを出しますと、多くの方々からコールを頂き、目標にしていた200QSOはいけそうなスタートです。2日目の夜、ヨーロッパの友人から依頼のあった22局とリストQSOに成功し、CQヨーロッパを約1時間QSOし、指定なしになってからは、米国東海岸他から猛烈なパイルで、幸福感いっぱいでした。運用は3日間で延べ8時間、成果はKH0/JA6CBGが750QSO、KH0/JH6BYVが49QSOでした。DXエンティティは32で、大満足の8時間でした。(1998年9月記)」


写真7. KH0/JA6CBG湊啓氏とKH0/JH6BYV湊喜代子さんご夫妻のQSLカードの表と裏。


写真8. CQ誌1998年10月号に掲載された、KH0/JA6CBG湊啓氏とKH0/JH6BYV湊喜代子さんご夫妻の記事の一部分。

1998年 (米国 W9CXX, W6/JE1LET)

故JH3DPB田中裕氏は、コリンズの創始者のコールサインに因む、W9CXXのコールサインを得て運用したとアンケート寄せてくれた(写真9)。「Art Collins の昔のコールを誰も取らないので、1997年5月Daytonハムベンションで、K6MB, KK0Uと取ろうぜと相談。まだその時期はバニティーコールのゲートがNovice/Techまでオープンしていなかったので取る人がいるかも知れないと待っていました。全てがオープンしてしばらくしても(3-6ヶ月忘れていました)まだW9CXXが空きコールであるのを確認して、個人コールでほしかったのですが、アメチャンが文句を言うのを考えて、クラブコールとして申請しました。私のCollins Collectionの中で一番の宝物となりました Hi。1998年10月末~11月の3週間と、1999年1月の2週間、K6MBへ入り込んで運用しました。完全に私自身のためにです・・・。カードは数種類Collinsにまつわるものを用意し、順次発行予定でいます。1回目の分を同封します。9ZTは勿論W6AMです。今回分はJARL経由で3月中に発行予定です。荒川さんもW6AMのシャックを訪問されたと思いますが、今回W6AMのDXCC 2枚とWAZ 2枚、そして盾を貰って来ました。これまた宝物です。ラッキーでした。財布用免許はK6MBのシャックに飾ってあり、大きい方は私のコレクション・ルームに飾ってあります。(1999年1月記)」


写真9. 1924年の9ZT宛て9CXXのQSLカードを配したW9CXX田中裕氏のQSLカードの表と裏。

JE1LET男沢雅彦氏は、米国での運用の結果をQSLカードと共にアンケートで知らせてくれた(写真10)。「相互運用協定で得た免許W6/JE1LETで、カリフォルニア州アンザ(Anza)市のW6KP,Tomさんのシャックを借用し、運用させていただきました。3.8~28MHzで、約450QSO出来ました。(1999年5月記)」


写真10. W6/JE1LET男沢雅彦氏のQSLカードの表と裏。

1998年 (バミューダ AH0R/VP9)

JH6RTO福島誠治氏は、バミューダでの2回目の運用について、アンケートを寄せてくれた(写真11)。「今年も前回(1997年5月)に続き米国東海岸の用事を済ませた後、バミューダを訪れました。前回、下見が済んでいますし、免許申請の按配も分かっていますから事は簡単でした。今回は真剣に運用する積もりで準備しました。期間はたったの2泊3日(35時間)で、目標はQSO総数1,000、内JAを200~300としました。また、少しでも珍しい組合せがいいだろうと思い、周波数はWARCバンドとすることにしました。JA-VP9はF層反射4ホップと距離もあるし、JAから見て方位20度と大変厳しいことが行く前から分かりました。双方共通の夜は2時間26分だけ、共通の昼はたった49分しかありません。ただ強みは下見が済んでいることで、低い打上げ角で電波を押出せる海辺ぎりぎりのバーチカルアンテナが建てられることも分かっていました。予定のコテージに予定のアンテナを建ててみると、結果は実に素晴らしかったです。日出、日没は「オンリーJA」体制でやりました。ヨーロッパからのビート、エンドレスコールでレートは60局/時間と低いものでしたが、運用時間を目いっぱいとったこととオープン時間が予想外に長かったことが幸いして、対JAで約250QSOし目標を達成できました。JA-VP9のオープンはJST日出の18MHzで2時間半、同日没の10MHzで4時間もありました。QSO総数は約1,200局でした。24MHzではヨーロッパ各局からも「珍カントリーサービス有難う」の謝意を受けました。JAから見たVP9の「高さ」の理由は伝搬の難しさより、相手局が少ないこと、JAタイムは必ず欧米の少なくとも一方はオープンしていて強度面でかなわないこと、さらにそのときVP9側のビームは東西のどちらかを向いていることではないかと考えられます。(1998年11月記)」


写真11. AH0R/VP9福島誠治氏のQSLカードの表と裏。

「あの人は今 (第39回)」JA2FGE澤木利氏氏とJH2BXB(ex.JP1TPZ)澤木逸子ご夫妻

今回のオーストラリアの項で紹介させて頂いた、JA2FGE澤木利氏氏の米国でのKR7Tの運用については(その24) 2015年3月号で、XYLのJP1TPZ澤木逸子さんの、米国でのJP1TPZ/W2については(その28) 2015年7月号で紹介させて頂きました。また米国ではJANETクラブのメンバー達との交流の中で、1985年から1986年にかけて、ニューヨークにある国連本部の4U1UNも運用され、(その29) 2015年8月号の記事中に4U1UNを運用中の澤木利氏氏の写真があります。そのJA2FGEとJH2BXB(ex.JP1TPZ)の澤木ご夫妻は、現在名古屋市内にお住まいで、JA2FGE澤木利氏氏から近況を知らせて頂きましたので紹介します(写真12及び13)。「時代は流れていますね。N7CFQそしてKR7Tでオレゴン州Portland、そしてNJ/NYでQRVしていた時から・・・。米国駐在から日本に帰り、時に時間があれば海外旅行を楽しみました。もちろん何度かU.S.A.やCanadaからもQRVしました。その時はJANETにチェックインできたこともありました。現在名古屋の集合住宅からJA2FGEで、TS950Sのベアーフットと、ベランダからあげた2.8m長のバーチカルアンテナで、コンディション次第で世界中と交信しています。中国のオリンピック記念局とも2月12日に14MHz, CWでQSOしましたがとても強かったです。また、毎週のJANETには極力チェックインすべく努力していて、W6OPQ丸さんやW6DHH高橋さん他の皆様の協力で、何とか交信が出来ています。


写真12. (左)JA2FGE澤木利氏氏のセスナ機の操縦席での写真をあしらったQSLカード。(中央) JA2FGE,JH2BXB(ex.JP1TPZ)澤木ご夫妻のシャックと、(右)その2.8m長のバーチカルアンテナ。

1993年6月に生まれ故郷の愛知県に戻り、名古屋で集合住宅を買った折に、XYLのコールサインはJP1TPZからJH2BXBに変えて、主に430MHz, FM主体にQRVしています。そして、そこからお城巡りなど、国内旅行に出かけています。今どきは相互運用協定が結ばれていますし、VECも世界中で行われていますので、米国のFCC免許を得るのは比較的容易になりましたが、1980年代にオレゴン州PortlandのFCCフィールドOfficeで受験したのが、懐かしい思い出になっています。(2022年2月記)」


写真13. (左)JP1TPZ澤木逸子さんのQSLカード。(右)お城巡りで松山城を訪れたJF2FGE,JH2BXB(ex.JP1TPZ)澤木ご夫妻(2018年撮影)。

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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