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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その101 今回の記事は1995年のオセアニアの2回目です 1995年(5) 「あの人は今(第26回)」JH6RTO福島誠治氏

JA3AER 荒川泰蔵

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今回の記事は1995年のオセアニアの2回目です

今回は1995年の第5回目で、オセアニアの2回目(CQゾーン31と32)です。この「海外運用の先駆者達」の連載は読者の皆様方に支えられて、先月号で100回目を迎えました。これまでに投稿させて頂いた原稿の合計は45万文字を超え、写真は1,300枚を超えています。このあとも10数回続く予定ですので、引き続き宜しくお願い致します。尚、今月の「あの人は今 (第26回)」は、CQ誌の2004年1月号から2005年9月号までに掲載された「DXing Abroad」の連載記事を担当され、また今年は、東京オリンピック2020の聖火リレーランナーを務められたJH6RTO福島誠治氏の紹介です。

1995年 (ツバル T20XC)

JE1DXC三原正義氏は、T20XCの免許を得て、ツバルで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真1)。「免許申請先はMr. Ken Tylor, Tuvalu Telecommunications Corporation, Private Mail Bag 14, Vaiaku, Funafuti, TUVALUでした。無線をしたい旨の手紙、日本の免許証と免許状の英文証明、パスポートのコピー、申請料20オーストラリアドルを送り、約3週間で入手。コールT20XCは希望を出してもらえた。運用場所はVIAKU LAGI HOTELで、飛行場から歩いて数分のところにある国営ホテル。17室あるが、支配人が1部屋使っていて実質16室、すごい音のするエアコンと、お湯の出るシャワーがある。支配人は無線に理解があり、庭師やエンジニアが助けてくれてアンテナを立てられた。ただし、指定された場所はJAのショートパスには開けているが、ヨーロッパのロングパスには建物が邪魔だった。マーシャル諸島航空の予約が、日本からは大変難しく渡航に問題あり。私が知っている限りでも、フライトが2日間キャンセルされていた。運用は1月31日から2月2日までの3日間で。3.5-28MHz、CW, SSB, RTTY, RS-12で、約2,300QSOであった。(1995年2月記)」その後、再度の運用をレポートしてくれた。「運用は6月14日から22日迄で、運用場所は前回と同じVIAKU LAGI HOTELであった。フィジーでフライトのチケットを購入した。フライトの前日に飛行機事故があり、フライトがキャンセルされたり、荷物が運ばれずに1週間待ったりと散々だった。海は飛行機から見ると大変綺麗だが、実際にはゴミだらけ。海水はきれいで熱帯魚が沢山見られる。常駐局T20AA、イアンがいるが、全く運用していないので、北米やヨーロッパからモテモテだった。3.5-28MHz、CW, SSB及びRTTYで、約4,500QSOであった。(1995年7月記)」


写真1. T20XC三原正義氏のQSLカード表と裏。

1995年 (キリバス T30XC)

JE1DXC三原正義氏は、T30XCの免許を得て、キリバスで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真2)。「免許申請先はMr. Mote Terukaio, Telecom Services Kiribati LTD, PO BOX 72, Bairiki KIRIBATIでした。JARL国際課より入手した申請書、日本の免許証と免許状の英文証明、パスポートのコピー、申請料20オーストラリアドルを送り、約1.5ヶ月で入手。コールT30XCは希望を出してもらえた。運用場所は首都バイリキにあるMARY'S MOTELで、宿のオーナーのカリアナコ・ビラシはCBをやっていて、隣の自宅にはアンテナが立っていた。ただし、宿にアンテナを立てるスペースはほとんど無い。部屋にはエアコンがあったが、ものすごい音を立てるので困った。また、外を整備不良の車やバイクが通り、ノイズがすごい。部屋は4室のみ。バイリキ唯一のレストランも併設していて、結構おいしい料理が食べられた。宿の近くにDIY店があり、ロープや工具などを買える。ビケネビウに国営のオシンタイホテルがあるが、無線はテレホンIのため、最近になって禁止となった。T30GIが運用したベシオのキリバスホテルは閉鎖。T30BH(ZL1AMO)が運用したタラワモーテルはかなりへんぴな所にあり、シャワーやトイレが共同なので、私はやめた。他に飛行場近くに近々オープンする宿がある。マーシャル諸島航空の予約が、日本からは大変難しく渡航に問題あり。ナウル航空もあるが、いつ飛ぶか現地の人たちもわからないと。運用は1月22日から25日までの4日間で。3.5-28MHz、CW, SSB, RTTY, RS-12で、約1,500QSOであった。(1995年2月記)」


写真2. T30XC三原正義氏のQSLカード表と裏。

1995年 (バヌアツ共和国, YJ0ALS, YJ0AXC)

JS6BLS遠藤孝治氏は、YJ0ALSの免許を得て、バヌアツで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真3)。「ライセンスはポートビラ市内のテレコムで、その場でもらえる。コールサインはYJ0A??になる。申請料は500円位である。今回はリクエストにより、私自身初めて海外よりサテライト運用を行った。何でもYJのサテライトは10年ぶりだそうである。サテライトではAO-10, 13のBモードにて、約80局とQSO出来た。(1995年7月記)」


写真3. YJ0ALS遠藤孝治氏の免許状。

JE1DXC三原正義氏は、YJ0AXCの免許を得て、バヌアツで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真4)。「免許の申請先はTelecom Vanuatu Limitedでした。フィジーから渡航して、首都のポートピラのテレコムハウスにあるオフィスを訪ねた。すぐに申請書をくれたので、その場で記入した。他に日本の免許証と免許状の英文証明、パスポートが必要。1ヶ月有効で申請料は500バツ(500円弱)。申請したその日から運用OKとなった。出力は100~200Wが上限で、リニアアンプの使用は基本的に不可。運用場所はROYAL PALMS RESORT & CASINO。バヌアツでは高級ホテルで静かなエアコン、バスタブ付きのシャワー完備。TVもあり、ビデオやCNNをやっていた。飛行場に着いた時にホテルのマネージャーがいたので、無線についての交渉をして、3階建の屋上にアンテナを立てたが、フラットな屋上で苦労した。エンジニアに頼んで助けてもらった。屋根馬が絶対必要。ロケーションは北に山があり良くないが、素晴らしい食事、カジノ、ゴルフコース、プールにビーチと何でも揃っていて、無線どころではないhi。バヌアツは山国で平地は殆んどない。フィジーでフライトのチケットを買ったが簡単に予約、購入出来た。首都のポートピラにDIY店があり便利。運用は2月6日から10日までの5日間。3.5-28MHz、CW, SSB, RTTY, RS-12で、約2,800QSOであった。(1995年2月記)」


写真4. YJ0DXC三原正義氏のQSLカード表と裏。

1995年 (ニューカレドニア FK/JS6BLS)

JS6BLS遠藤孝治氏は、FK/JS6BLSの短期運用許可を得て、ニューカレドニアで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真5)。「相互運用協定に基づく運用のため、申請費用もタダであり、ヌーメア市内のテレコムに現地到着後出頭すると、その場で発給してくれる。テレコムは1995年4月に移転して、新住所は 9 rue du General Gallieni Noumea でした。市の中心にあり、バスターミナルからも歩いて10分位で行けます。運用はマンスバタにあるランタナビーチホテルで行った。マネージャーの許可を得て、屋上にDipoleを張って、All Asian DX Contestにも参加した。7, 10, 14, 18, 21MHz、CW, SSBで、約500局とQSOできた。(1995年7月記)」


写真5. FK/JS6BLS遠藤孝治氏の免許状。

1995年 (ノーフォーク島 VK9NH)

7K3UZY(ex.JA1EYH)山下康治氏は、VK9NHの免許を得て、ノーフォーク島で2月23日から28日まで運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真6)。「1995年2月に、この島のアパートで運用。設備はIC-750+FL-2000, HF6V, RTTY: TNC-232+PC-9801L+ソフトCRTX(持参)。3.5-28MHz、SSB, CW, RTTYで、約400QSOできた。75mバンドはスタティック・ノイズが2月は多い。(1995年7月記)」


写真6. (左)VK9NH山下康治氏のQSLカードと、(右)VK9NH山下康治氏の免許状。

「あの人は今 (第26回)」JH6RTO福島誠治氏

北米やヨーロッパ諸国はもちろん、南太平洋、インド洋、カリブ海の島々からもアクティブにQRVされたJH6RTO福島誠治氏は、23件のアンケートを寄せてくれており、その多くは既に紹介させて頂きました。筆者が担当していたCQ誌の「JANET NEWS」の連載が、1994年に「Overseas Activity」にタイトルを変え、更に1997年には「LOCAL TOPICS 海外編」、1999年には「海外ロカトピ」と、目まぐるしくタイトルを変えましたが、2004年には福島誠治氏に引き継いで頂き、「DXing Abroad」と、新しいタイトルで執筆頂きました。その福島誠治氏から、近況を含むその後の活動をレポート頂きましたので、紹介させて頂きます(写真7~10)


写真7. CQ誌2004年1月号の「DXing Abroad」の記事の一部分。

「神奈川県厚木市から鹿児島市に転居し、鹿児島大学にて光通信関連の分野の教鞭をとっています。生憎無線通信ではありません。学生・院生には日本企業が描くイメージとして“国際・海外”が欧米先進国から東南アジアにシフトしていることも教えています。2000年に1年間イギリスの大学に派遣され、休日にはヨーロッパ諸国に足を延ばしてDXCCを稼ぎました。ちょうどこの年・世紀を境として、海外出張の行先が欧米から東南アジアに変わっていきました。空き時間に現地から運用するのは難しくなりました。多くの東南アジア諸国においては、運用は認めてくれても運用は現地局のゲストオペ形式ですから。無線は本当に好きなので、タワーを建てるために2013年に家を建てました。海抜100mの住宅地から小さめのSteppIR DB-11とロータリーダイポール(40m)で運用しています。これでもそれまでの団地住まいに比べれば快適に運用できています。これ以降を時系列に簡単に記します。2014年10月にはARRL 100周年記念局W1AW/KH0に参加しました。3泊4日の一部日程でしたが久しぶりにパイルを楽しみました。運用場所はテニアン島で、同行メンバーはJE1CKA, JQ2GYU, JJ2VLV, JR4OZRでした。


写真8. CQ誌2014年3月号で紹介されたJH6RTO福島誠治氏のアンテナ記事の一部分。

仕事として“はやぶさ2”に相乗りの九工大の宇宙機プロジェクト“しんえん2”を少しだけお手伝いしました。一次電池搭載のDESPATCHに負けましたが、ポーランドチームから430MHz帯189万kmの超DX受信記録が寄せられました。“しんえん2”は1年後の地球再接近時の再会を夢見て太陽電池使用のQRPでした。出張や海外旅行も減っていましたが、ついに2020年3月に予定していたスペイン(EA)+イビザ(EA6)の旅行をCOVID-19パンデミックにより中止し、そのまま首都圏・関西圏出張もままならない時代に突入しました。通常、自宅からの交信数は1,000~2,000交信/年ですが、2020年は合計6,000交信となりました。国内外、とにかく聞こえるものは全部呼ぶという感じで潰しました。特に週末は暇なので、アリババ系の通販サイト・サーフィンにはまっていて、信じられない価格の中国製の無線機・測定器・アンテナを買いあさっています。nanoVNAというベクトル・ネットワーク・アナライザは特にお薦めです。アンテナ調整のときにR+jXのようにRとXが全部見えますので便利です。SWR計では絶対値|Z|しか見えません。


写真9. CQ誌2014年12月号で紹介されたJH6RTO福島誠治氏の“しんえん2”の記事の一部分。

最終章!2021年の東京オリンピック。人生で最後の国内開催オリンピックかもしれないので騒ぐことにしました。倍率100倍という噂の聖火ランナーに当たり、4月28日に指宿市を走りました。一般の人の聖火ランナーは作文による審査でした。熊本と鹿児島の2か所に応募して鹿児島の方で当たりました。その後、8月の観戦チケットも1枚だけ持っています。今後のなりゆきに注目です。また、2021年2月にJARL国際問題検討委員会委員を拝命しました。IARUなどの国際会議もオンライン開催のようです。(2021年5月記)」尚、聖火リレーランナーを務められた福島誠治氏は、6月29日にオリンピック記念局8J6OLYMPIC/6を終日運用され、520局と交信されました。


写真10. (左)東京オリンピック2020の聖火リレーランナーを務めるJH6RTO福島誠治氏(2021年4月28日、鹿児島県指宿市にて)。(右)JH6RTOのシャックにて福島誠治氏の近影(2021年5月撮影)。

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