Monthly FB NEWS 月刊FBニュース 月刊FBニュースはアマチュア無線の電子WEBマガジン。ベテランから入門まで、楽しく役立つ情報が満載です。

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その103 今回の記事は1996年のアジアとオセアニアです 1996年(1) 「あの人は今(第28回)」KN6RJ(ex.JR6MTY)坂本正彦氏

JA3AER 荒川泰蔵

こちらの記事を印刷する(PDF 形式)

今回の記事は1996年のアジアとオセアニアです

今回は1996年の第1回目で、アジアとオセアニアです。この年は海外運用のレポート/アンケートが少なくなりました。サンスポットがボトムに近づくサイクルと関係があったのかも知れません。尚、今月の「あの人は今 (第28回)」は、KN6RJ(ex.JR6MTY)坂本正彦氏の紹介です。

1996年 (香港 VS96SS, VS97SS)

JK2PNY河津基氏は、香港の英国から中国への返還前後に年号を入れた特別なプリフィックスのコールサインが許可されて運用した事を手紙で知らせてくれた(写真1及び2)。「1996年9月10日に、OFTA(Office of the Telecommunications Authority)は、VS96, VR96, VS97, VR97, VR98の5つのプリフィックスの使用について、HARTS(Hong Kong Amateur Radio Transmitting Society)の会長VS6BG, Mr. Brett Graham等に伝えましたが、HARTSの要請により、それらの特別プリフィックスの使用を認める、11月1日付の文書をHARTS宛てに送ってきました。正式な発表はこれが初めてです。それには1992年3月以前に免許を受けたVS6の局だけがVS96やVS97を使えるとの文言が無かったので、OFTAにすぐ電話をして問い合わせたところ、担当者はコンピューターで私のVR2SSの免許情報を調べて「あなたはVS6SSを使用することは出来ないが、VS96SSなら問題ない」とのことでした。こうして2日後のJIDX(Phone)コンテストには、VS96SSでQRVしました。(1997年5月記)」

その後1997年6月17日発行のニュースレター「こちらはVS97SS」で、その後の様子を知らせてくれました。「1997年3月8日午後、田無市のJA2RM/1氷室さんが香港に来られました。さすがOM、1人で飛行場からタクシーに乗って、沙田のアパートまで来てくれました。この時まで1回も使わず取ってあったVS97SSのコールサインでゲスト運用して頂き、21MHzで40局程と交信の後、7MHzにQSYしました。翌朝、来訪者ノートにサインを頂きましたが、最高齢宿泊記録は、今後自らによってしか抜かれることはないでしょう。(1997年6月記)」


写真1. (左上)VS96SSを運用したJK2PNY河津基氏。(右上)中国香港の高額切手3種の小型シート、1997年の消印がある使用済み。(下)JK2PNY河津基氏が当時筆者宛に送ってくれた、中国香港の最初の普通切手13種の小型シート(1997.1.26発行)。


写真2. OFTAが、VS96, VR96, VS97, VR97, VR98の5つのプリフィックスの使用について、HARTS宛てに送ってきた1996年11月1日付の文書。

1996年 (ベトナム 3W6YL)

JR3MVF三好京子氏はご主人と一緒に、ベトナムで運用した時の写真と共に、免許状とQSLカードを添えてアンケートを寄せてくれた(写真3及び4)。「1996年2月にOM(JA3UB)とホーチミン市を訪問、3W6YLを運用しました。(1997年5月記)」


写真3. (左)3W6YLのシャックにてJR3MVF三好京子氏とJA3UB三好二郎氏ご夫妻。(右)3W6YLのQSLカード。


写真4. JR3MVF三好京子氏とJA3UB三好二郎氏ご夫妻の3W6YLの免許状。

1996年 (西マレーシア 9M2/JE6FLM)

JE6FLM藤田昭男氏は、マレーシアで9M2/JE6FLMの免許を得て運用した経験を、アンケートで寄せてくれた(写真5及び6)。「本来は2アマ以上と言われていたため、3アマの私は申請を考えていませんでした。その時(1995年12月)、KL(クアラルンプール)の日本人会内に日本人のハムクラブを作るという話を聞き会員となりました。クラブコールで運用できるためです。メンバー相互で話す中で、3アマでもA1のライセンスがあれば免許がもらえるらしいと言う情報をキャッチし、ハムクラブ会長9M2GGと相談の上、必要書類一式を揃えて郵政局(通信局)本局へ持参し直接申請しました。アマチュア局が全国で400局余りしかない国柄、窓口の係員が書類をチェックすることができず一旦預かりとなりました。3週間後に電話があり、申請を受理したので申請代金を持参するように言われ翌日に納入しました。それからちょうど3日後に免許の交付を受けましたが、コールサインは3アマであったためか9M2/-----でした。しかし、出力、バンド等の条件は9M2--というオリジナルコールを受けた2アマ以上の局と同じで、14MHzのQRVも、100W出力も許可されています。(1997年1月記)」


写真5. 9M2/JE6FLM藤田昭男氏のQSLカード表と裏。


写真6. 左から9M2/JE6FLM藤田昭男氏の免許申請書、宣誓書、免許状。

1996年 (北マリアナ AH0AV)

JH6RTO福島誠治氏は、北マリアナ諸島のサイパン島で、AH0AVのコールサインで2度目の運用をしたと、アンケートを寄せてくれた(写真7)。「2度目のサイパンです。ダイビングもしましたが、IOTA-TEST, LimitedもQRVしました。予想されたソーラーフラックスも低く、1日ずれていたらもっと良かったように思えます。7~21MHzの運用ですが、DX-70と自作14, 21MHz用GPをホテルの窓から釣り竿で出してのオンエアーでした。これでもコンテスト終了直前は、Wの東海岸数局を取れたので安心しました。7, 10, 18MHzはATでごまかして乗せました。昨年7L3TDU/6(IOTA AS-079)で出たIOTA-TESTで結構呼ばれて楽しかったので、今年はKH0まで足を伸ばしました。ちょっとしたプレ夏休みでした。ところが台風9号が近くにいて、滞在の大半が大雨・強風で、天気がダイビングをやめて無線をしなさいと言うのです。WX, Condx共に悪く、ちょっと不満が残りました。(1996年8月記)」


写真7. AH0AV福島誠治氏のQSLカード表と裏。

1996年 (パラオ KC6FS)

JH6RTO福島誠治氏は、パラオでのKC6FSの運用をアンケートで寄せてくれた(写真8)。「パラオの大半の方の運用は首都コロールからですが、今回も私はスクーバダイビング旅行を兼ねていますから、1島1リゾート型のCarp Islandからオンエアーしました。Carpのコテージは送電が1日2回約5時間(06:00 - 07:30, 18:00 - 2200 ローカルタイム=JST)しかないため局数はのびませんでした。3.5, 7, 10MHzのCWで100QSO余りでしたが、ほとんどのコンタクトが日の出後数十分の10MHzです。ちなみに夜間はケロシンのランプを使います。昨年末、パラオはT8のプリフィックスをITUから受けていますが、本日の時点でこのコールサインは発給してもらえません。(1996年1月記)」


写真8. KC6FS福島誠治氏のQSLカード表と裏。

1996年 (オーストラリア VK4CYX, VK2IHT)

JH6RTO福島誠治氏は、オーストラリアのVK4CYXの免許を得て、ハミルトン島から運用したとアンケートを寄せてくれた(写真9)。「今回の運用はハネムーン中なので、時間、局数に制限があります。VK大陸ではDXペディションになりませんからIOTA狙いで離島からQRVしましたハミルトン島(IOTA OC-160)はGBR(グレートバリアリーフ)の大きなリゾート地で、国内旅行代理店も多数の商品を出していますから、多数の日本人ハネムーナーでにぎわっていました。短時間の運用でしたが、JIDX-PH中に28MHzでJAがオープンし、意外に遊べました。なお免許取得は英文証明のいらないFCCの免許を用いましたが、何と10日で到着し、某国電監にサービスぶりを見せてやりたいところです。(1996年12月記)」


写真9. VK4CYX福島誠治氏の免許状。

JF7VVL久保辰哉氏は、オーストラリアでVK2IHTの免許を得て、144MHzで運用したとアンケートを寄せてくれた。「北シドニーの電監に直接行き、5分くらいで免許の発給を受けた。コールサインについて希望を聞かれたが、希望したコールサインは取得できなかったので、電監職員にまかせた。免許の住所地について記入しなかったところ、勝手に電監の所在地を免許発給住所地にされた。(2000年6月記)」

1996年 (ミッドウェイ島 KH4/N1VXT)

JA3IG葭谷祐治氏は、ミッドウエェイ島で1996年10月17日から23日迄、KH4/N1VXTで運用したと、アンケートをよせてくれた。「運用時は米海軍基地であったので、特別上陸許可が必要でした。今日現在、基地は撤収され、代わりにU. S. Fish and Wildlife Serviceの管理下にあり、より上陸許可は難しいと思います。CWとSSBの運用で、約3,600QSOでした。1997年4月17日から22日迄、再びMidwayよりQRVします。そののち又詳しくリポートさせて頂きます。今度のコールはKH4/K1NTです。(1997年4月記)」

1996年 (米領サモア KH8/KG8DS 及び 西サモア 5W0KI)

JF3MYU板谷邦彦氏は、米領サモアと西サモアで運用した経験を手紙で知らせてくれた(写真10)。「1996年7月、4人のアメリカ人の友人とKH8と5Wで無線をやってきました。米領サモアのKH8/KG8DSでは117局(内JAはたった10局!!)しかできませんでした。北側に山、山、山(本島のみならず、運用したOfu島もです!!)でNG。CONDXもNGでした。でもOfu島の滑走路に沈む夕日はVY FBでした。宿は滑走路から徒歩2分ですHi。西サモアの5W0KIはWに私の分だけがなぜかライセンスが届いていなかったので、現地でアメリカのライセンスを基に即日交付してもらいました。VY FBなホテルでアンテナも建てさせてもらい、客室や木陰でQSOしました。こちらは5W0KIで608局(内JAは320局)と交信ができました。JAではまともなANTがなく、ほとんどQRVしたことのない10MHzで、主にオペレートを担当しまして、10MHzの面白みがわかりました。また、太平洋の島々へ行きたくなってきました。(1997年1月記)」


写真10. 5W0KIを運用する板谷邦彦氏。

1996年 (ケルマデック諸島 ZL8RI)

JA3EMU田中敏之氏は、The Kermadec Islands DX Associationが主催した、Raoul島のDXペディションの一員として参加し、ZL8RIで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真11及び12)。「免許については、今回のDXペディションのオルガナイザーでもあるZL2HU, Kenさんが全て行いました。チームは7名で、4局同時運用、24時間運用でした。リグはFT-1000, FT-1000MP, FL-7000, FT-900他、アンテナはNagara HX-330, T2-V3X, AKI Special, Vertical, Delta Loopでした。5月5日から13日までの9日間、160mから10mまでのCW, SSB, RTTYで、延べ約33,800QSOでした。(1996年7月記)」


写真11. ZL8RIの2つ折りQSLカードの表紙とその裏面。


写真12.(左) ZL8RIの免許状。(右) ZL8RIを運用したメンバーのリスト。

「あの人は今 (第28回)」KN6RJ(ex.JR6MTY)坂本正彦氏

ロスアンゼルスからアクティブなKN6RJ(ex.JR6MTY)坂本正彦氏のフィリピンでのDU1MRCの運用については、(その21)2014年12月号に、そしてバーレーンでのA92ESの運用については、(その32)2015年11月号に紹介させて頂きました。その坂本氏は2014年12月号の今月のハムにも紹介されていますが、その後の状況も含めた近況をお知らせ頂きましたので紹介させて頂きます(写真13~15)。「1987年8月にA92(Bahrain)から帰国後 東京の外資系通信社でComputer System Engineerをしておりましたが、1990年にCaliforniaへ移住、転職とキャリアアップを重ね、2006年から日系自動車用ナビメーカーのP社に勤めておりましたが2019年4月をもってリタイア、年金生活に入りました。リタイア後は自分の時間が一杯持てると思っていましたが、実際はその反対で、逆にPrivateでやらなければならない事が多くあり、リタイア前よりも忙しくなってしまいました。とは言ってもそんな中、リタイア以前から温めていた計画を実行に移すべく活動しております。リタイア後の生活として、1. Amateur Radioの継続。2. 大好きな1960年代の旧式オートバイのレストアとそれによるツーリング。3. RV(Travel Trailer)で北米大陸を旅し、無線機搭載で週末は訪問地からJANETにチェックインする。4. 趣味と実益を兼ねたPersonal Businessを始める。以上4項目を掲げて少しずつですが実行に移しております。

1番目のアマチュア無線についてはLAのHomeからA4S 4EL、15mh、FT1000+TL922にてQRV、JANETへは時間の許す限りCheck inしています。他はラグチューメインのQSOを継続中でお友達増殖中。


写真13. ホームシャックにてKN6RJ坂本正彦氏。

2番目のMotorcycleのレストアは学生だった頃からの趣味ですが、1980年から2006年の間は仕事に集中していたため離れていました。しかし2006年に偶然近所のGarage saleで学生の頃憧れていたBMW R60/2 1966を見つけ言い値で購入、そしてレストア。以来、旧車が増え続けて現在はSidecarを含む10台のMotorcycleを所有するに至っております。


写真14. 長期滞在の現地で乗るためのVintage SidecarをTrailerに搭載。

3番目のRVでの北米大陸ツアー、American dreamという言葉がありますが、その中の一つが定年後にMotor Homeで北米大陸を旅行する事だそうです。それに感化されてないと言えばウソになりますが、定年後小さなToy hauler(サイドカー付オートバイを搭載可能なTravel Trailer)を購入、Short tripを重ねながら自分の用途に合うよう少しずつ改造し、来年のCanada Tourに備えています。実はCanadaは昨年5月から数か月かけて旅する予定でしたが、COVID-19のおかげで国境が閉鎖されてしまい、延期を余儀なくされてしまいました。仕方なく2年間の延期で、来年5月から周る予定でいます。もちろん、小型のMobile Transceiverを搭載しており、訪問地からJANETにCheck inする予定ですが、ANTがVerticalなのでコンディション次第です。


写真15. (左)Trailer内のMobile Shackで坂本正彦氏。 (右)Trailer後方に取り付けたMulti Band Vertical Antenna。

4番目のPersonal Businessについては、過去の経験を元にいろんな可能性をTry and Errorで行っていますが、まだまだ混沌としていてどうなるのかわかりません、でもまあ、利益は求めなくても良いのでマイペースでやって行こうと思っています。

最後に、アマチュア無線をやってきて良かったことは、何と言っても人との出会いです。無線をやっていると日本中、世界中、何処ででもすぐに友達の輪がひろがります。この友達の輪はプライベート、ビジネスを問いません。一口にアマチュア無線家と言っても、その楽しみ方は多岐にわたり、また職業、年齢も千差万別、そして、このハムのネットワークは直接の利害関係を持たないため永く継続することができます。携帯電話など無かった 学生の頃、単純に車同士で連絡が取れるようになれば旅も楽しくなるだろうと思って取得したアマチュア無線、当時はアメリカくんだりまで来て、無線をやっているなどとは想像だにしませんでしたが、無線が人生を変え、その楽しみも倍、いやそれ以上で、人との出会いと喜びを与えてくれた事に感謝しています。(2021年4月記)」

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー

2021年10月号トップへ戻る

次号は 12月 1日(木) に公開予定

サイトのご利用について

©2024 月刊FBニュース編集部 All Rights Reserved.