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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その102 今回の記事は1995年のオセアニアの3回目です 1995年(6) 「あの人は今(第27回)」JA1PIG臼井五郎氏

JA3AER 荒川泰蔵

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今回の記事は1995年のオセアニアの3回目です

今回は1995年の第6回目で、オセアニアの3回目(CQゾーン30)です。この年はオセアニアでの運用が多く3回に別けさせて頂きましたが、今回が最後で次回からは1996年の記事になります。尚、今月の「あの人は今(第27回)」は、JA1PIG臼井五郎氏の紹介です。

1995年 (フィジー 3D2XC)

JE1DXC三原正義氏は、3D2XCの免許を得て、フィジーで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真1)。「免許の申請先は Ministry of Information, Broadcasting, Television and Telecommunications, P. O. Box 2225, Government Buildings, Suba, Fiji であるが、JARL 国際課より入手した申請書、日本の免許証と免許状の英文証明、パスポートのコピー、パスポートサイズの写真2枚、申請料(ライセンスとポリスクライアンス合わせて)42.50フィジードルを送り、約2週間で入手。コール3D2XCは希望を出してもらえた。フィジーの免許は150Wまでで、リニアアンプの使用は基本的に無理。近々コンウエイリーフからQRVがあるらしいが、リニアアンプを使うとのこと。特別免許だろうか? 運用場所はSeashell Cove Resortであったが、無線には支配人のスミス氏が理解していて、問題なし。過去たくさんの運用実績がある。JA向けには良好なロケーションであった。1995年の1月から2月にかけて延べ6日間、7-28MHz, CW, SSB, RTTY, FMの運用で約2,000QSOであった。3D2から運用していると、QTHはどこかと頻繁に聞かれて困った。(1995年2月記)」そしてその後、再度の運用をレポートしてくれた。「2回目の運用は、5月26日から29日にママヌザ諸島からQRV。ナンディーから船または小型飛行機で行く。どこも宿代が高かった、1万円以上は取られる。ここのIOTA参照番号(OC-121)はフィジー本土(OC-016)とは異なる。3.5-28MHz、CW, SSB, RTTYで運用、WPX CWコンテストにも参加し、約1,000QSOであった。(1995年7月記)」


写真1. 3D2XC三原正義氏のQSLカード表と裏。

1995年 (ウォリス・フツナ諸島 FW/JA1WPX)

JA1WPX下市忠雄氏は、ウォリス・フツナ諸島でFW/JA1WPXの免許を得て、5月2日から5日までウォリス島から運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真2及び3)。「多分、原則的にライセンスは出頭しないと貰えない。FKやFO等と同じで、FWでのみ有効である。USAのレシプロとは違う。ワリス(ウォリスでは通じない)にはフライトが遅れて4月29日に着いたが、5月1日が国民祝日になり、ライセンス貰えず。5月2日の早朝出頭して貰った。ディレクターが不在のため、とりあえず口頭でOKをとり、3時間後に再び訪れて、正式ライセンスに自分のサインをして、コピーが保管され、オリジナルが手渡された。以前訪れた人の話では1ヶ月で2,000CFPとのことであったが、私の場合は滞在期間のみ有効でUS$2でOKであった。これは2ヶ月前、郵送申請した際、連絡費として同封したもので、2,000CFP支払うと言ったら、これでOKとのことでしたので、2,000CFP(約$20)支払うと1ヶ月のライセンスが発行されたかも知れません。FWでは英語は95%以上通じません。私はエアーカレドニアで、代理店を通じて往復フライト+ 8泊昼食付+現地での送迎をパックにしてもらい、先払いにした。ニューカレドニア、またはフィジー経由のいずれかになる。タヒチ経由でも可能である。宿泊先はここ数年日本のハムが泊まった実績のあるHOTEL LOMIPEAUであり、テレコムへは歩いて7分位で行ける。島にはタクシーはない。夕食はホテルの定食(約2,500CFP)、昼はスーパーで購入したスナックとビールで済ませた。10~15分歩いてビーチ沿いにはレストランやバー等もあるが、英語のメニューは無いので、フランス語の判る人は色々と外食もできる。ワリス人はポリネシア系の人で、99%の人は宗教心の強い良い人々です。フランス系の白人も結構おり、テレコムのトップクラスは皆白人でした。ホテルの庭にアンテナを建てるのを許可してくれたが立木が多く、しかも枝があるので、ワイヤーアンテナは非常に張りづらかった。当初FD-4ウィンドムを11m高にする予定であったが、給電点が8m位になってしまった。- 中略 - HF, CWは7MHzで私の730局を含み約2,400局。SSBでも約970局、一番力を入れたオスカーで約220局(正味153局)できたのは、FWの要求度が比較的高い事の証明と思われる。- 後略 - (1995年6月記)」


写真2. FW/JA1WPX下市忠雄氏のQSLカードの表と裏。


写真3. FW/JA1WPX下市忠雄氏の免許状。

1995年 (西サモア 5W0XC)

JE1DXC三原正義氏は、5W0XCの免許を得て、西サモアで運用したとアンケートを寄せてくれた。「免許申請先はPost and Telecommunications Department, Government of Western Samoa。首都のアピアにある郵便局の2階にテレコムのオフィスがあり、そこを訪ねた。日本の免許状の英文証明を見せて希望のコールを言うと、その場で免許を発行してくれた。申請料は15サモアドル。運用場所はVaiala Beach Cottages。アピアの東の郊外にあり、北側はフェンスと道路を隔てて海である。女主人のヘレンは、以前JOCV(青年海外協力隊)の日本人が滞在していたこともあり、日本人に親切のようだった。運用は5月11日から16日迄で、HF 3.5-28MHz, CW, SSB及びRTTYで、約4,050 QSOであった。(1995年7月記)」

1995年 (南クック諸島 ZK1DXC)

JE1DXC三原正義氏は、ZK1DXCの免許を得て、南クック諸島で運用したとアンケートを寄せてくれた。「日本の免許証と免許状の英文証明、パスポートの写し、申請料20NZドル、手紙を郵送した。首都のアヴルアの町中にあるテレコムのオフィスを訪ねると、ZK1TK(カマナ氏)が既に免許を持って待っていた。彼は日本に7週間滞在したこともあり、親日家で色々と話がはずんだ。運用場所は Club RARO(旧 Tamure Resort)で、支配人のピーターは無線に理解があり、宿の裏庭にアンテナを立てられた。北側が海で良好なロケーション。南には山がある。日本で半年働いたことのある親日家の女性がレセプションにいた。物価が高かった。HF 3.5-28MHz, CW, SSB, RTTYで運用し、4,100QSOできた。(1995年7月記)」

1995年 (仏領ポリネシア FO0SAA)

JA7KAC佐々木公咲氏は、FO0SAAの免許を得て、仏領ポリネシア(タヒチ)のBora Bora島からQRVしたとアンケートを寄せてくれた(写真4及び5)。「FO5IWより、WW WPX SSBコンテストに参加することが目的であった。プライベートの小さな島より運用した。回りが海のため、非常によく飛んだ。最大電力は250Wまでしか許可されていない。事前に輸入許可書を入手しておくべきである。通関では機械のシリアルナンバー等も確認されるので要注意。(1995年7月記)」


写真4. FO0SAA佐々木公咲氏のQSLカードの表と裏。


写真5. FO0SAA佐々木公咲氏の免許状。

「あの人は今 (第27回)」JA1PIG臼井五郎氏

現在もJANETクラブのネットにアクティブで、JAサイドからNC(ネットコントロール)を務めておられるJA1PIG臼井五郎氏の、スリナムでのJA1PIG/PZの運用については、(その12)2014年3月号に、そして、セントマーチンでのFS/NZ2Yの運用については、(その68)2018年11月号に紹介させて頂きましたが、その臼井氏から近況をお知らせ頂きましたので、ここに紹介させて頂きます(写真6~8)。「小さいころから外国に興味を持っていた。小学生の時NHKテレビでJA1CYA須藤典子さんの番組を見てアマチュア無線を志し、電信級免許をとった高校生から約60年アマチュア無線を続けています。現在小さな会社を経営していますが、アマチュア無線と海外出張で世界を見たことが肥やしとなっています。埼玉県の独身寮を振り出しに、南米スリナム、2回のニューヨーク、パナマなど13回の引越しをしました。社宅がほとんどでしたが、どんな場所でもアンテナを建て無線を続けました。この中で1976年から5年間の南米スリナムが仕事もアマチュア無線も最もアクティブで醍醐味を知った時期です。ちょうど太陽黒点のサイクル21の時だったためコンディションが大変FBで朝から夜中まで、1日中世界中と交信しました。PZのハムのお陰で相互運用協定しか許可されない国で電波が出せる様になりました。YAESU FT-101が1台のみの赴任でしたが、だんだんグレードアップし、最終的にアンテナTH6DXXと、自作4-1000の1kWの設備で、4年間で4万局もQSO出来ました。


写真6. (左)スリナムで電波を出せた恩人で仲良しだったPZ1AP, Arnieさん。(右)臼井さんのスリナム生まれの長女が描いたJANET NEWSの表紙。

スリナム駐在が終わる1981年頃スリナムで軍事クーデターが勃発し帰国、その頃偶然ニューヨークで産声を上げたばかりのJANETを聞き、その後思いもよらないニューヨーク駐在となり、JANETの皆さんとEyeballやJANETのオンエアーミーティングにも毎週参加できました。JANETメンバーは国連のクラブ局4U1UNにも自由に入れる特権を得て、週末にはよく4U1UNに集まったり、国連本部ビル近くのタイレストランでEyeball QSOを楽しみました。


写真7. (左)国連本部ビルの屋上にビームアンテナを設置するJANETクラブのメンバー達(1988年)。(右)国連本部ビルの屋上にて、エンパイヤステートビルやクライスラービルを背景に、左からJS1DLC荒川謙一郎氏、JA1PIG臼井五郎氏、N2ATF小林巌氏。

その後アマチュア無線はJANET中心となっています。JANETのメンバーと楽にQSOが出来る様にと、現在は横須賀観音崎の丘の上に遠隔無線機を設置して皆さんと毎週末楽しくQSOしています。N2JAから始まり現在のW6OPQまで歴代ネットワークコントロール局は、個性的で味のある素晴らしい人達にたすきが渡され続けています。日本語が母語であることや日本語を話し外国と関係ある人達の集まりであるJANET、日本語でQSO出来ることは楽しいばかりでなく、逆境にあっても勇気がもらえます。今は太陽活動が低迷期ですが、かつての様に一度に世界の各地のJANETメンバーが聞こえる日も来るに違いありません。これからも、私のハムライフはJANET中心でしょう。(2021年4月記)」


写真8. 横須賀観音崎の丘の上にある遠隔基地局にてJA1PIG臼井五郎氏。

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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