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Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

第60回 滋賀DXファイナルクラブの皆さん

Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

こんにちは、Masacoです! なんと8か月ぶりの「むせんのせかい」です!! 去年の11月頃から少しずつ落ち着きを見せていた新型コロナウィルスが、今年になって急拡大! またまた「イベント中止」や「不要不急の外出自粛」など、辛い日々になってしまいましたね・・・。皆さんはお変わりなくお過ごしですか? 時間のあるときは無線で旅行気分を味わいましょう!

さて今回の「むせんのせかい」は、コロナ禍が少し落ち着きを見せ、各地の緊急事態宣言などが解除された12月上旬にお邪魔させていただいた、滋賀県東近江市の「滋賀DXファイナルクラブ」をご紹介します。

第60回 滋賀DXファイナルクラブの皆さん


月刊FB NEWSの編集長から『Masacoさん、次の「むせんのせかい」の取材先が、滋賀DXファイナルクラブに決まりました。初めての滋賀県ですね!』と知らせていただいたのは昨年秋。クラブ名から“みんなで海外交信を楽しむDXクラブかなぁ?”と思ったのですが、よく見ると、“DX”の後に“ファイナル”が付いています! (2アマの勉強が染みついている私は、ファイナルって・・・終段管!? なんて連想しました、笑)。さて、どんなクラブなのでしょう。ちょっとワクワクしながら、お知らせいただいた取材場所、滋賀県東近江市の「西堀榮三郎記念探検の殿堂」へ向かいました!


「西堀榮三郎記念探検の殿堂」に到着!

「西堀榮三郎記念探検の殿堂」は、滋賀県東近江市、近江鉄道八日市駅から東北東に約5kmの位置にあります。広い敷地に池があり、その向こう側に大きな船のような建物が見えました。この中で、クラブの皆さんが待っていてくださるようです♪


大きなピッケルのモニュメントがありました♪

建物の入口で「Masacoさん、こんにちは。遠いところをようこそいらっしゃいました」と声を掛けてくださったのは、クラブの世話役の畑さん(JH3QFL)。

--畑さん、よろしくお願いします!! この建物、とっても立派ですね。西堀榮三郎さんって、どんな方だったのですか?

畑さんに伺ったところ、西堀榮三郎(にしぼり えいざぶろう)さんは1903(明治36)年の京都生まれ、1957~1958年にかけて日本の第1次南極地域観測隊の越冬隊長として、南極に渡ったほか、登山家・探検家・科学者など多方面で活躍された方だそうです。近江商人の流れを汲む西堀さんの業績を称え、近代日本人探検家を顕彰する目的で、1994(平成6)年にオープンしたのがこの施設ということでした。


畑さん(JH3QFL)が手にもつ写真パネルは、西堀さんが1973年のヤルン・カン登頂で、テント内からアマチュア無線を運用したようすです!!

そして西堀さんはアマチュア無線家でもありました!!「JF1MFUというコールサインをお持ちで、1973(昭和48)年に、西堀さんが隊長を務めた京都大学の学士山岳会の一行が、ネパールのヤルン・カンに登頂したときは、連絡手段にアマチュア無線機を持参して“9NAP”というコールサインでオンエアしました」と教えていただきました。

--西堀さんはアマチュア無線家だったんですね。親しみを感じます!

「そうなんです。そして以前、この施設には“西堀榮三郎記念探検の殿堂無線倶楽部(JL3YRT)”という無線クラブがあって、アクティブに活動をしていました。2018年3月のクラブ解散後、メンバーのうち9名で2019年1月に結成したのが“滋賀DXファイナルクラブ”なんです」

--それで今日の会場はここなんですね。

「せっかくですから、少し館内の展示をご覧になってください」

--ありがとうございます!


南極に行った樺太犬の「タロ」と「ジロ」、2羽のコウテイペンギンのレプリカがお出迎え!

「西堀榮三郎記念探検の殿堂」を見学

「西堀榮三郎記念探検の殿堂」の1階は、東京都大田区にあった西堀邸の居間を再現。いろいろな場所にゆかりの物を展示しています。


展示コーナーは東京都大田区にあった西堀邸の居間を再現しています

最初に目に留まったのは大きな南極の岩石! 白と灰色の縞模様で全体がザラッとしています。「南極の露岩地帯では激しい風の作用によって、たくさんの穴のあいた岩石が見られる」と説明が書かれていて、南極の厳しい気候が伝わってきました。第1次南極地域観測隊として、まだ昭和基地も雪上車もない南極に渡った西堀さんたちの、大変な探検が想像できます。


貴重な南極の岩石(国立極地研究所提供)も展示されています

別の壁を見ると、ネパールで大きなトランシーバー(ソニーのCB機)で交信する西堀さんの写真が掲げられ、その下にはネパールに持参した真空管式の無線機や、記録用のカメラ、8mm映画のカメラなどが展示されていました!!


CB機で交信する西堀さんの写真パネル。その下にはネパールで連絡用に使った無線機や、記録用のカメラが展示されています

その隣には、大きな真空管が美しいビロードの箱に入って展示されています。

--畑さん、この真空管は?

「西堀さんが戦前、東芝の技術本部長を務めていた時代に、軍の依頼で開発した、日本初の純国産真空管で「ソラ」という名前が付いています。

--「ソラ」ですか! かわいい名前ですね!


西堀さんが戦前、東芝で開発した日本初の純国産真空管「ソラ」と組み立て教本、デミング賞の賞状なども展示されていました

「ソラは性能も素晴らしいのですが、物資の少ない中でも大量生産できることを前提に設計し、とても詳しい製造マニュアルを作成したので、“新橋の芸者さんを集めても組み立てできる”と言われたそうです。戦後になってから、優れた品質管理普及の功績により、国際的な“デミング賞”を受賞しました」

--わあ、素敵! よく見るとガラス面に「ソラ」と印字されていますね♪


うっとりと「ソラ」を眺めてしまいました!

しばらく「ソラ」を眺めていたら、畑さんが「そうそう、こんな物もありますよ」と、西堀さんの無線従事者免許証や無線局免許状が入ったパネルや、過去に展示していたという南極から運用したQSLカードが入ったパネルを見せてくださいました。どれも貴重な物!


西堀さんの無線従事者免許証と無線局免許状も保存されていました!


南極のQSLカード。昭和基地の「8J1RL」だけでなく、みずほ基地の「8J1RM」、ドームふじ基地の「8J1RF」もあります。左上は第1次観測隊の作間隊員が運用した「JA1JG/ANT」の超レア物!

ちなみにQSLカードパネルの左上「JA1JG/ANT」のQSLは、西堀さんが副隊長兼越冬隊長を務めた第1次南極観測隊で、越冬隊員だった作間敏夫(JA1JG)さんが、南極から初めてのアマチュア無線運用で発行したときのもの(/ANTは、Antarctic=南極の意味)だそうです!

「西堀榮三郎記念探検の殿堂無線倶楽部」の活動について

見学を終えたところで、畑さんと集まってくださったメンバーの皆さん(JH3AZC 早苗さん、JH3VAA 野村さん、JR3GWZ 小島さん、JR3MHP 西河さん)からお話を伺いました。まずは「西堀榮三郎記念探検の殿堂無線倶楽部」のお話からです。


畑さんをはじめ5名の皆さんに集まっていただきました♪

西堀榮三郎記念探検の殿堂無線倶楽部(JL3YRT)は、2007年にここで開かれた南極越冬50周年記念企画「南極との通信 昭和基地と日本を結んだ50年」の中で、アマチュア無線が紹介され、それを見た近隣のアマチュア無線家の皆さんが、“科学の好きな子供の学習意欲を支援し、南極観測を目指すような科学者を育てよう”と団結し、2008年5月に発足したクラブで、2018年3月までの10年間ここを拠点に活動したそうです(局免許は現在も維持)。「滋賀県の社団局で1kW出力の免許があるのはここだけだったと思います」と畑さん。


西堀榮三郎記念探検の殿堂無線倶楽部の開局記念QSLカードのパネル

クラブの一番の目的は「子供たちにアマチュア無線の魅力を伝え、普及を図ること」。建物の持ち主である東近江市と交渉して、無線の運用ができる部屋と、建物横のスペースにタワーを建ててアンテナを設置させてもらう契約を結び、南極昭和基地との交信を2008年に実現したほか、国際宇宙ステーションの宇宙飛行士と交信するARISSスクールコンタクトも2回開催されています。


2008年、西堀榮三郎記念探検の殿堂アマチュア無線倶楽部内に作った“キッズ無線クラブ”の子供たちが南極昭和基地の8J1RLと交信。写真の子供たちは現在大学生や、大学卒業後に教員になりました


キッズ無線クラブの子供たちが東近江市の総合防災訓練に参加した際の写真。市社協の職員と合同で緊急無線通信の訓練に取り組みました

--人気も実績もあったクラブなのに、10年で解散はもったいなかったですね。

「こうした活動は、最初から会則に活動期限を決めておくことでモチベーションが保てるのだと思います。このクラブの場合、最初の5年間を第一期として、第二期まで続けました。“スタートしたらゴールを決めておく。達成できたら一度整理して次のゴールを決める”という考えが大切です。そして2018年に市との契約が切れたので部屋をお返しし、アンテナタワーを撤去して活動を終えました」と畑さん。

当時、クラブの運営メンバーは10名でしたが、活動していた10年間の間に、会長が病気のため50代の若さで急逝。そしてもうお一人、72歳という最高齢の方が亡くなられたそうです・・・。

「会長はトップDXerで設備が凄かったです。お子さんはハムでしたがDXはやらない方で、ご自宅の大きなアンテナが残っても、ご家族はメインテナンスができず、台風などが心配でした。そこで1周忌を過ぎてから、奥様に“クラブで撤去しますよ”と声を掛けました。アンテナ撤去には重機の手配や警察からの道路占有許可などが必要でしたが、メンバーで手分けをして行い、残された無線機のうち現役で使えるものは、メンバーが適正価格で購入して故人の遺志を継ぐことにしました。不要な物はオークションで売却し、その全額を奥様にお渡しました。メンバー分と合わせて120万円にもなったので、大変驚かれました」

--残されたアンテナや無線機の処分を引き受けたのですか! 大変でしたね。

「2人目がサイレントキーになられた際も、同じ手法で整理を行って100万円ぐらいを奥様にお渡しました。“ありがとう”と感謝されたのがとても嬉しかったです。こうした経験から2019年に発足したのが、滋賀DXファイナルクラブなんですよ」

--あ~! 滋賀DXファイナルクラブの“ファイナル”は、「終活」という意味!? 私・・・DXで使うリニアアンプの終段管で、ハイパワー局の集まりかと思っていました(笑)。

「ファイナルは“無線じまい”という意味で、人生の最期まで無線を楽しもうという願いを込めて名付けました(笑)」

「滋賀DXファイナルクラブ」について

畑さんから、滋賀DXファイナルクラブのお話をもう少し伺いました。

このクラブは、仲間が亡くなったときにみんなで助け合い、アンテナの撤去や無線機の処分といった後始末をしようという、互助会的なグループなのだそうです。だから会費もなく、ミーティングなどの行事も行わず、年末に忘年会だけを開催しています。


畑さんは2019年の「関西アマチュア無線フェスティバル(KANHAM)」で、滋賀DXファイナルクラブの活動について講演。これが今までで唯一の対外的活動でした

「連絡を取らなくても、みんなアクティブに無線をやっているので、元気そうな様子はワッチしていれば自然にわかるんですよ」

--メンバーになるには、何か条件はありますか? 今は何人ぐらい入会しているのでしょうか。

「基本的にDXをやっている人に限っています。メンバーは現在9名で、たまたま全員1アマですが、これは入会要件ではありません。年齢制限もありませんが、最も若い人は50代ですね」

そして畑さんは「元気なうちにアンテナやリグを自力で撤去するのが一番良いと思います。でも“死ぬ前日まで無線をやりたい”のがハムですよね(笑)。アマチュア無線界には、体力の衰えを感じ、まだ無線をやりたいのにアンテナを降ろす決断をせざるを得ないという人がたくさんいると思います。そうした不安を無くす方法の1つが、こういう互助会的な活動だと思います」と、クラブのメリットを教えてくださいました。


滋賀DXファイナルクラブメンバーのシャック。これまで収集や自作した無線機や測定器、部品などがたくさん。もし持ち主が亡くなってしまうと、家族は整理と処分が大変そう・・・

そして、もしメンバーの誰かが亡くなったときは、葬儀が終わり、落ち着いた時期にご遺族のところを訪問して無線機材整理の相談をし、正式なご依頼を受けてから処分に入ります。そのため、生前に「自分が亡くなっても、無線関係の後片付けは仲間がすべてやってくれるから心配ない」と話しておき、連絡先を伝えておくことが大切。すべてのメンバーは、奥様やご家族にこの説明を済ませ、会員名簿をお渡しています。

「こうすることで、奥様からの“あなた、もうそろそろ無線をやめたら?”が、なくなるわけです」

--ナルホド!!

「亡くなったメンバーの無線機を処分する場合は、“安全に、きれいに始末し、処分方法はオープンにする”が大原則。メンバーが欲しいものは値段を付け、誰にいくらで販売したかのリストも作ります。こうした点が透明になることで、みんなが安心できます。また奥様にも“これは新品ならいくらで、オークションならいくらで売れるものです”と説明することが重要です」。

--それは大切なことですね! “知らない人たちが来て、ご主人が残した無線機を勝手に持っていった”なんて思われるのは、絶対に避けたいですよね。

「メンバーが来てアンテナの撤去や無線機の処分をやってくれ、売却代金が入れば、奥様もきっと“お父さんが無線をやっていてよかったね”と感じてくださると思います」


あるメンバーのご自宅。コツコツと建設したアンテナ群が凄いです!! もし所有者が亡くなったときは、ご家族からの依頼を受けて、クラブでタワーやアンテナの解体処分を行います


西堀榮三郎記念探検の殿堂の敷地内に残るアンテナタワーの撤去跡。解散時にメンバーがきれいに撤去作業を行いました

ちなみに無線機とアンテナ以外のもの、例えばQSLカードは基本的に捨てるそうです。西堀榮三郎記念探検の殿堂無線倶楽部の会長が亡くなられたときは、南極のQSLカードだけ残して展示に使わせてもらい、それ以外のカードやパーツ類はもったいないけれど、すべて廃棄処分にした・・・ というお話でした。

幸い、滋賀DXファイナルクラブのメンバー9人は、ますますお元気で、毎日DXを楽しんでいらっしゃいます! 畑さんは「本当は、こういうことに全部対応してくれる保険があるといいのですが・・・」と話していらっしゃいました。

メンバーの皆さんにミニインタビュー

続いて、今日集まってくださったメンバーの皆さんに、「アマチュア無線を始めたきっかけ」や、「いま頑張っていること」をミニインタビューさせていただきました!


メンバーの皆さんにミニインタビューをさせていただきました!

★JH3AZC 早苗惠造さん(1アマ、esJD1BPW・W2AZ)滋賀県東近江市
ハム歴は52~53年です。中3から高1のとき、近くの電器店でアマチュア無線のことを教えてもらい、国家試験で資格を取得しました。最初はSWLナンバー「JA3-5515」で7MHz帯のSWLを行い、その後TX-88D+9R-59Dを使って7MHz帯AMで開局しました。

大学ではステレオアンプに熱中し、社会人になってからはコールサインを失効させてしまいましたが、コールサイン再割り当てのニュースを聞いて再取得しました。会社の同僚がDXerで“お前もDXをやれ!”と言われ、タワーが建てられる場所に引っ越しました。

2mのEME(月面反射通信)にも目覚め、8年前に100kg以上のアンテナ機材を持って、ミクロネシアに行き初のEMEペディションを行いました。その後も毎年のように海外に行ってEMEペディションを行っています(マーシャル、パラオ、グアム、サイパン、ナウル、ネパールなど)。次はツバルに行きたいと考えています。

最近は1200MHz帯のEMEにも熱中しています。500Wリニアアンプ、LNA、測定器など自作する物が多いのが楽しいです。最近ようやくまともに電波が出るようになりました。アンテナの収納運搬に工夫が必要ですが、1200MHz帯もDX EMEペディションに加えたいですね。

もう1つのプロジェクトはJD1(小笠原諸島)です。父島からEMEとHFの運用を楽しむため、2021年6月に皆さんと「G-G-Ham Club(JD1YCC)」を作りました。まだJD1からの50MHz帯EMEは誰もやっていないので、2022年は検査を受けてQRVしたいと思っています。


JH3AZC 早苗惠造さん

★JH3VAA 野村 衛さん(1アマ、esJD1BPI・KH0YT)滋賀県東近江市
昭和46年、高校生のときに資格を取得。昔からラジオ少年で、テレビやラジオから部品を取って無線機の製作などを楽しんでいました。受信管を使った自作リグ+ワイヤーアンテナで太平洋を越える交信は感激しました。

就職後、アクティビティは下がったものの免許更新は続けてきました。最近皆さんと知り合ってからアクティビティが上昇。海外からの運用に目覚めて。ネパールやミクロネシアにも行きました。海外から電波を出すと呼んでくる局が違うのが楽しいです。

ネパールからの運用は、畑さんがアンナプルナの丘の上にある良いホテルを探してくれました。ネパールは1000m級の山は「丘」なんですね(笑)。

米国のエクストラ級のライセンスも取得し、ボランティア試験も担当できるようになりました。そして小笠原で運用するためにJD1BPIのコールサインも取得。スキューバダイビングを初体験しましたが、海は最高ですね!

最近は「月刊FB NEWS」を読んで、ラズベリーパイでFT8運用をやってみました。また皆さんと海外に行きたいと思っています。


JH3VAA 野村 衛さん

★JR3GWZ 小島裕之さん(1アマ、esJD1BPV・K3GWZ)滋賀県東近江市
小学生だった昭和45~46年に、子供雑誌で「ハムになろう」という広告を見てアマチュア無線を知りました。中学生になってから参考書を買い、国家試験で電話級アマを取得。高校生のときに電信級アマになり、初めてDXができたのを覚えています。高校生で2アマを取得、CW/SSBでDXができるようになりました。

大卒後に1アマを取得して500W免許を下ろし、それからDX一筋に40年、No.1オーナーロールにもなり、現在はチャレンジDXCCが2,900です。今後はなんとか3,000まで達成したいのと、7MHz帯で残っている2つのエンティティ(P5、CY9)と交信したいと思っています。

2000年に160mバンドにQRVを始めました。最初はインバーテッドL、現在はタワードライブで、3年間でDXCCが100を超えて現在は230。FT8を使うようになってから、弱い局も拾えるようになりました。7~8年前に50MHz帯でも1kWの免許を下ろし、FT8でDXCC120ぐらいまで伸びています。

海外運用はマーシャルとナウルに連れて行ってもらいました。マーシャルはCWとSSBで2~3,000局と交信。ナウルはFT8のみ運用しました。


JR3GWZ 小島裕之さん

★JR3MHP 西河洋雄さん(1アマ、esJD1BPZ)滋賀県甲賀市
中学1年生のとき、友人がハムを始め「ラジオを自分で作った」と自慢しました。“ラジオが自分で作れるのか!”とビックリしてその友人に弟子入りし、真空管ラジオを作り上げたのですが、スイッチONでラジオから声が聞こえてきたときの感激は今も忘れません。

中学校の部活動で無線クラブに入り、電話級ハムの国家試験は“公欠扱い”で受けさせてもらいました。開局は高校1年生。年賀状配達のアルバイトをして貯めたお金で買ったRJX-601とホイップアンテナで初QSOを体験。大学生になってから、電信級→2アマ→1アマとステップアップ。サイクル21のときは10W出力でも海外と面白いように交信できたのを覚えています。

就職で神奈川県にQSYしましたが、その後転勤に。滋賀県に一戸建てを買ってタワーを建てました。コールサインは一度も切らしていません。

「西堀榮三郎記念探検の殿堂無線倶楽部」に入れていただいて、メンバーの皆さんから刺激を受けました。今は1200MHz帯のEMEに挑戦中です。サイレントキーになった方から譲り受けた3.5mのディッシュを使って、これまでに4局と交信できました。しかし、交信する喜びももちろんですが、交信するための機材を自分で作ることも好きです。


JR3MHP 西河洋雄さん

★JH3QFL 畑 多喜男さん(1アマ、esJD1BQA)滋賀県野洲市
少年時代、私の兄2人はラジオ作りが好きで、兄が真空管ラジオのシャーシに穴開けをするとき、シャーシを動かないように押さえるのが私の役割でした。やがて送受信機にも興味を持つようになり、通信教育で勉強、高校1年生のときに国家試験で電話級アマを取得し、FDAM-3で開局しました。

やがてCWを覚えて電信級アマの国家試験を受験、同じ日程で2アマの国家試験もあったので両方受験したら、2アマのモールス実技にも合格できました。CWを始めてからハムの世界が広がりました。英語不要で海外とも交信できるのが魅力でしたね。

34歳のときに1アマの国家試験に合格し、ハイパワー免許を取得。引っ越し後にタワーを建て、トライバンダーの6エレでDXを始め、300エンティティを超えることができました。そして50歳になったとき、人生の記念、コツコツやってきた無線活動の集大成として初の海外運用、ローカルと4人でマーシャルから「V73B」のコールサインで運用しました。

以来、海外運用が面白くなり、クラブメンバーなどを誘いながら何度も行い、マーシャル、ナウル、パラオ、ネパール、グアム、サイパンなどで運用しました。また4回行ったミクロネシアでは日本人のホテルオーナーと知り合い、相談してレンタルシャックの立ち上げも行いました。現在も年に一度は海外運用をしています。半年前から免許、ホテル、航空券などを入念に準備し、計画を積み上げていくのが楽しいです。

最近はドローンにも興味を持っています。また昔から天文が大好きで、中学3年生で天体望遠鏡を作ったほどです。南の国は星空もきれいです。南十字星や満天の星を眺めていると、大自然の中で自分は小さな存在だなあ・・・ と感じます。

今後の目標は50MHz帯のDX。FT8でヨーロッパと交信したいと考えています。5エレ八木と400W出力でギリシャとは交信できたので、今年のDXシーズンには7エレ+1kWにグレードアップして頑張りたいと思っています。


JH3QFL 畑 多喜男さん

ドローンの操縦を体験しました!

とても楽しいお話を聞かせていただいた後は、お楽しみの「Masacoの体験タイム」です♪ 畑さんが「今日はMasacoさんにコレを体験してもらおうと、持ってきました!」と見せてくださったのは、カメラを搭載したドローンです!


畑さんからドローンについて詳しく教えていただきました

--私、ドローンを一度飛ばしてみたかったんです!!! でも・・・ 操縦はメッチャ難しいんですよね? 高価な機体を墜落させたら大変です!?

「大丈夫ですよ。操縦は意外に簡単で、広い場所なら安全に飛ばせますから」

ということで、まずは畑さんが操縦のお手本を見せてくださり、私もコントローラーの使い方を真剣に見学。

しばらくして、畑さんから私に操縦をバトンタッチ! 教えていただいたとおり、ゆっくりゆっくりスティックを動かすと、それに合わせてドローンが上昇したり、左右に旋回したり・・・ わぁ~、楽しいっ!!


私の操縦でドローンが飛んでいます、楽し~い!!


ドローンが上空から送ってきた動画がコレです!

無線LANでタブレットに送られてくるドローンからの空撮画像も大迫力♪ まるで私自身が空を飛び回っているみたい! 2、3分のことでしたが、本当に楽しかったです。貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました!!


楽しい時を過ごさせていただきました。皆さんありがとうございました♪

滋賀DXファイナルクラブの皆さん、長時間にわたり、本当にありがとうございました!

クラブ名の“ファイナル”の意味を知ったときはビックリしました。でも「亡くなる前日までハムを楽しみたい、しかし残された奥様や家族には迷惑をかけたくない」という、ある意味矛盾する難題を、みんなで力を合わせて解決しよう! という取り組みが、とても頼もしく思えました。こういう互助会的な活動が全国のハムの間に広まって欲しいなあ~と思います。

そして、探検家で科学者の西堀榮三郎さんの偉業を知ることもできました。お読みになった皆さんも、コロナ禍が落ち着いたら、ぜひ滋賀県東近江市の「西堀榮三郎記念探検の殿堂」(Webサイトは https://e-omi-muse.com/tanken-n/)を訪れてみてください!

さて、次回の「Masacoのむせんのせかい」が、いつになるか??? ですが、それまで皆さん、どうぞお元気でお過ごし下さい♪ この連載も始まってから60回目! この2年間は思うように取材ができずノロノロ運転で歯がゆいですが、畑さんの言葉にあった「続けるということは、都度ゴールを決める。メリハリが大事!」を心に刻んで、取材先で出会う方とのストーリーを大事に、バトンが繋がっていくアイボールの旅を今後も楽しみにしていただければ嬉しいです。ただ・・・ 今はもう少し気長に待っていてくださいね♪

(JH1CBX Masaco)

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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