今月のハム
2026年6月15日掲載

JARL(一般社団法人日本アマチュア無線連盟)の支部長や理事を歴任し、現在はJARD(一般財団法人日本アマチュア無線振興協会)の会長を務めているJG2GFX種村さん。どちらかというと裏方が多かった種村さんのアマチュア無線歴を伺った。
1945年2月、兵庫県伊丹市で生まれた種村さんは、小学校高学年の頃からいわゆるBCL(Broadcasting Listener)としてラジオを聞き出した。自宅にあったAMラジオは短波も受信できたため、41mバンドなどをよく受信していた。そのすぐ下にはアマチュア無線の7MHz帯があり、当時の音声通信はAMが主流であったことから、ダイヤルを回しているとアマチュア無線の電波がたまたま聞こえてきて、アマチュア無線を知ったのだそうだ。
中学生になるとアマチュア無線にも興味を持ったが、当時はまだ1アマと2アマしかなかったことから、「免許取得は難しい」という先入観があって、国家試験を受験するまでには至らなかった。(参考: 電話級、電信級が創設されたのは1958年11月、養成課程講習会が実施されたのは1966年から)
BCL時代に一番記憶に残っているのは、1959年3月、14歳のときにVOA(Voice of America)の英語放送(7160kHz)を聞いて日本のアメリカ大使館に受信レポートを送り、ベリカードを取得したことだという。そのカードは今でも大事に保管している。

種村さんが受け取ったVOAのベリカード
大阪の高校に進学すると、土木を専攻した関係もあり、しばらくラジオに触れることがなくなったことで、アマチュア無線のことも頭から離れた。さらに高校を卒業し建設コンサルタント会社に就職すると、発注先の現地設計で転勤することが多く、アマチュア無線からはますます遠ざかって行った。
その後種村さんは会社を辞め、1970年25歳のときに名古屋で設計事務所を起業し、名古屋市内に定住することになった。この頃は本業が多忙を極め、さらに建築士や施工管理技士の資格取得に力を注いでいたため、アマチュア無線の資格取得は考えもしなかったが、しばらくして、たまたま会社の若い社員からアマチュア無線の免許を取るつもりだという話を聞き、アマチュア無線のことを思い出して、「では一緒に取ろう」ということになった。
1979年に電話級(現在の第四級)アマチュア無線技士の国家試験を受験し合格、1980年1月にその無線従事者免許証を取得したが、たまたま引っ越し時期と重なってしまったため、すぐに開局申請は行わず、1年後の1981年1月、35歳のときにJG2GFXを開局した。
開局にあたり、種村さんは144MHzオールモードのモービル機TR-9000を購入した。しかし周りにアマチュア無線の先輩はおらず、無線局免許状(コールサイン)は届いたものの、バンドプランはもちろんメインチャンネルという概念や、運用方法は何も知らない状況だった。とりあえず自家用車にアンテナをセットしてダイヤルをグルグル回し、たまたま空いていた145.58MHzでCQを出したところ、すぐに応答があった。相手は名古屋を中心としたアマチュア無線クラブ・ロクマル学校(JA2YYB)のメンバーで、145.58MHzはロクマル学校のメンバーがよく使用する周波数だった。
初めての交信に入ると、まずはどこに住んでいるか聞かれ、名古屋市名東区だというと、「すぐに出てこい」という話になり、指定された喫茶店に行くと、既にたくさんのメンバーが集まっていた。種村さんは歓迎され、その場でロクマル学校に入会したという。この一件が、その後JARL愛知県支部長からJARL理事を歴任する原点となった。
ロクマル学校には自分より年上のメンバーが多く、皆さん親切で自由なクラブだったと話す。一時は400名を超えるメンバーがいたそうだ。種村さんはロクマル学校ではHFグループに所属してHF運用も始め、当初は国内QSOをメインに運用していた。アンテナは夜になるとベランダから伸ばした7MHzと21MHzに対応したGPアンテナを使っていたが、そんな折、たまたま21MHzでミクロネシアのKC6INとつながった。ベランダアンテナでも遠くまで飛んだことにとても驚いたという。以後DX通信にも力が入るようになっていった。同時に資格のステップアップも進め、1983年に2アマ、1988年には1アマを取得している。

DXを始めた頃に取得したQSLカードの一部
その頃、交信相手局からもらったQSLカードに印刷されていたJAG(Japan Award Hunters Group)のライオンのマークに惹かれ、自分もぜひJAGに入りたいという思いになり、規定のアワードを集めてJAGに入会した。当時のJAGのメンバーは全市全郡とのQSOを終わって町村を追いかけているメンバー多く、入会後種村さんはしばしば珍町村に車で移動運用を行ったという。

JAGのシンボル、ライオンのマークが入った種村さんのQSLカード
その頃の種村さんはアクティブに電波を出していたが、ロクマル学校の先輩であるJA2CBC百武さんに誘われてJARL愛知県支部に関わるようになった。東海ハムの祭典や世界デザイン博特別記念局(8J2DEP)の実行委員会委員長などを担当した後、2000年~2010年までの5期10年は愛知県支部長を努めた。
支部長をやり出すとこれが結構大変で、本業にも影響するほど忙しく、無線を楽しむ時間が取れなくなった。「おかげで会社の売上が半分になってしまいました」、と笑って話す。支部長時代には愛・地球博特別記念局8J2AI(2005年)の実行委員会委員長も努めた。その後JARLが一般社団法人となり、社員制度ができると、種村さんは2011年11月~2014年6月の変則第一期の社員を努めた。
そして2014年のJARL通常選挙で全国選出理事に選出され、2014年から3期6年、JARL理事を務めた。ただ2020年の通常選挙では、連続4期目となる全国選出理事候補者に選出されたものの、社員総会で選任決議が否決されて、理事に選任されなかった。再起をかけたその2年後の2022年も再度全国選出理事候補者に選出され、さらに社員総会で選任決議が可決され、2024年まで理事4期目を務めた。次の2024年も全国選出理事に立候補したが、わずか1票差で当選に届かず、この時にもうアマチュア無線から離れようと思ったと話す。
その後JARDから会長に就任してほしいという依頼がきたが、初めは断った。しかし、何度か説得されるうちに、いい意味で自分を育ててくれたアマチュア無線界に何かお返しをしなければならないという考えとなり、最終的に引き受け、2025年6月にJARD会長に就任した。
種村さんは、かつては自分から積極的に喋っていくような性格ではなかったのが、アマチュア無線を始めたことで変わっていったことを挙げる。そのおかげで全国各地はもとより世界に友人ができた。そんなことからアマチュア無線が自分を育ててくれたと思っているんですよと話す。
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