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Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

第76回 シャープ社友会 ラジオ愛好者同好会の皆さん

2025年10月1日掲載

Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

メンバーの皆さんにミニインタビュー

最後に、今日集まってくださった4名の皆さんのミニインタビューをまとめました♪

★荒川さん(JA3AER)


JA3AER荒川さん

1938年生まれ。小学生のときからラジオが大好きで、中学生になってからはラジオの組み立てを始め、通信教育や社会人講座でもラジオの勉強をしていました。入学した工業高校に無線クラブがあって、そこでアマチュア無線の存在を知り、2アマを取得しました(当時のアマチュア無線資格は1アマと2アマの2種類だけ)。

卒業後、シャープに入社してから個人局を開局。送信機は自作した7MHz帯の真空管式のものでした。シャープでは最初テレビの製造部門でしたが、製品修理のために各家庭を訪問するサービス部門に移り、その後に技術部に移り、東南アジア向けのテレビ受像機の設計などを行い、その流れで東南アジアに駐在するようになりました。

香港に駐在していた1960年代の終わり頃、香港のアマチュア無線クラブを訪問し、そのクラブ局で運用させてもらったことを記憶しています。日本人による海外運用のはしりだと思います。

実はアンティークラジオのほかに、切手収集にも力を入れています。この夏は「ラジオ放送100周年」をテーマにした切手を、関西の切手展で展示しようと思っています。もうすぐ日本のアマチュア無線が100周年を迎えますが、アマチュア無線50周年(1977年)のときには記念切手が発行されたので、今回も記念切手が発行されることを期待しています。

★川名さん(JS3UDR/JR1FWR)


JS3UDR/JR1FWR川名さん

中学1年生だった1969年に、千葉県でJARLの養成課程講習会を受講し、電話級アマの資格を取り、翌年にJR1FWRのコールサインで開局しました。高校生のときにアマチュア衛星「オスカー6号」が打ち上げられ、その電波の受信にはまってしまい、続く「オスカー7号、8号」の衛星通信にも熱中し、そのためか浪人生になってしまいました(笑)。

大学卒業後はシャープに入社。海外営業の部署に配属されて1986年にフィリピンへ赴任。JR1FWR/DU1のコールサインを発行してもらい、アマチュア無線を楽しみ、現地のハムの皆さんとも交流できました。特に1988年から1989年にかけてはコンディションが良く、50MHzのハンディ機でも猛烈なパイルアップになり、JA局など1,000局以上と交信できました。

帰国後は奈良県に住み、1992年にJS3UDRのコールサインを取得しました。その1年半後にインドネシアへ赴任したのですが、当時は相互運用協定がないことから日本人は免許が取得できなかったのが残念です。

さらに2002年からは台湾勤務となりました。個人局の開設はできませんでしたが、現地のハムの皆さんと交流を深めたり、ゲストオペレーターでDXコンテストを運用させていただいたりしました。また、台北で行われたFCC試験に試験官としてお手伝いできたことも大きな思い出です。

2009年の帰国後は大阪市に住み、2016年にバーチカルアンテナで再開局しましたが、FT8がすごい味方になってくれ、たくさんのDX局とQSO。DXCCは260エンティティーを超え、WAZやWASなどのDXアワードも達成できました。残る目標は「DXCCの300達成」「チャレンジDXCCの1500」「3.5MHz帯のDXCC100」「8バンドDXCCの達成」を目指して頑張っています。

★吉田さん(JR3XUH)


JR3XUH 吉田さん

1959年の生まれです。小学生のときにアマチュア無線に興味を持ち、中学1年生のときに国試で電話級アマを取得、中学2年生のときに神戸市で開局しました。時代的に「真空管のラジオ少年の最終世代」だと思っています。ずっと「自作した無線機でフォーン(電話)のDXをやりたい」というのが夢で、10年前には7MHz帯AMモードの500W機を自作して免許を受けました。しかしまだ海外QSOはできていません・・・。

高校の無線クラブで、当時まだ免許が下りた430MHz帯のアマチュアテレビジョン(A9モード、帯域は8MHz)にはまり、すっかりテレビの世界にのめり込んでしまいました。シャープに入社後は液晶テレビ「AQUOS」の担当もしました(笑)。

シャープ定年後は2年ほど別の仕事を行ってから神戸市に戻り、XYLに「俺は無線をやるぞ。タワーを建てる!」と宣言して、今は建てたタワーでHFと50MHz帯でDXを追いかけています(50MHzは500Wリニアアンプを自作)。今は50MHz帯のDXCCが97まで来ました。これが100になると「9バンドDXCC」の達成です。

今年2月にはJARLの「全世界1万局賞」を達成し、ハムフェアで総務大臣表彰を受けました。今は「全日本1万局賞」に挑戦中で、ファーストQSOを増やすのに頑張っています。


吉田さんのQSLカード。ミュージアムに展示している鉱石ラジオと、同好会で複製に成功したラジオを並べた写真を使用しています

★会長 藤林さん(JO3QVT)


ラジオ愛好者同好会の会長、JO3QVT藤林さん

1946年に北海道名寄市で生まれました。近所のお兄さんがハムをやっていて感化されたのですが、8エリアの国家試験は札幌市でしか開催されないので1泊しなくては無理。結局、自宅から一番近い旭川市の工業高校の電気科に進学して、高校2年生のときにようやく国家試験を受けて資格を取りましたが、開局はしませんでした。

シャープ入社後は大阪の寮生活でしたが、無線のアンテナを建てることは禁止されていました。仕事はオーディオアンプの設計部門で、次第にデジタルの時代が訪れて、CPUに接続する周辺チップを作ることを命ぜられ、ロジック回路がわからないので大変苦労しながら実現。以後はずっとデジタル系の仕事に取り組んでいました。

2006年に定年を迎えてから、書店でCQ誌を読んで急にアマチュア無線がしたくなり、関ハムで情報収集をして2008年に開局。しかし住まいが7階建てマンションの5階なので、ベランダにホイップアンテナを付けましたが、10WのHF機では全然電波が飛びませんでした。コンディションも悪い時期だったのですね。

やがて小設備でも楽しめるデジタル通信の道を歩むようになり、5m長のワイヤアンテナで運用しDXCC100を達成。今は7MHz帯などで、どれだけQRPにしても届くかに挑戦しているので、良い測定器が欲しいですね。毎週2回はここ、シャープ社友会の事務局に詰めています。

皆さんありがとうございました!

シャープ社友会 ラジオ愛好者同好会の皆さん、ありがとうございました! シャープの最新製品の技術に驚き、皆さんの工夫と努力で再び聞こえるようになった100年前のラジオに感動し、少年のようなキラキラと輝く眼差しでプロジェクトや無線の話をされる姿に胸がキュンとなる・・・ そんな素敵な訪問になりました!


楽しい訪問でした! 最後の最後までラジオの音を楽しんでしまいました♪

私はずっとフリーで仕事をしてきたので(もちろん、支えてくださる大勢の方がいらっしゃいます!)、大きな会社をリタイヤした皆さんが集う「社友会」という組織に、とても憧れを感じました。長年一緒に仕事をした先輩、同僚、後輩と、今度はさまざまな趣味を一緒に楽しむことができる、会社勤めで培った技術で社会に役立つことができるなんて、本当に羨ましいなあ~と思いました!

それぞれがスペシャリストと言える知識と経験の中で、遊び心と、心の余裕、これまでよりも自由にできる時間を趣味の世界を飛び越えるくらいの勢いで、楽しんでいらっしゃる姿が最高にかっこよかったです♪ 人生は追及していると、いつまでも活き活きと過ごせますね! この場にいる皆さんは「まだまだやりたいことがあって時間が足りません、夢を叶えるまで健康でいなくちゃ」という言葉通り。力強い気が巡っていました!

夢を持つタイムリミットなんて自分で決めているだけで、いくらでも追いかけられる! と、背中を押された1日でした。


今年5月に発行されたシャープ社友会の会報。吉田さんがラジオ愛好者同好会の紹介とご自身のアマチュア無線ライフについて寄稿されました。活動の輪がどんどん広がると良いですね♪

皆さん、これからもユニークなプロジェクトをたくさん進めてくださいね。東広島市のカフェに併設されるアンティークラジオの博物館、オープンしたらぜひお邪魔させてください。そして復活したJA3YHUとの交信も楽しみにしていますよ!!

(JH1CBX Masaco)

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