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今月のハム

JG0LGQ 北澤紘一さん

JARL信越地方本部でコンテスト委員長を務めるJG0LGQ北澤紘一さん。小学校4、5年生の頃、当時通っていた児童館の職員が車にアマチュア無線機を積んでおり、電線もつながっていないのに相手の声がスピーカーから聞こえてくるのを不思議に感じたのが、北澤さんとアマチュア無線との出会いだった。その頃にはTVのCMでアマチュア無線の国家試験の案内が流れていたというが、周りでは誰もやっていなかったため、試験の受け方を知るべくもなかった。

中学校に入学すると科学部に入部。入部当時はアマチュア無線を運用している3年生の先輩が数人いたが、部内での活動班が違ったことと、3年生なので、まもなく引退してしまい、アマチュア無線の事を教えてもらうチャンスは無かった。2年生のある日、北澤さんは電子工作が好きな後輩と一緒に部品屋さんに行った際、部品屋さんで免許の取得方法を教えてもらい、3年生の4月の国家試験で4アマを受験し合格した。その後は、144/430MHz帯のFMハンディ機を入手して開局申請を行い、同年9月にJG0LGQを開局した。

1st QSOは144MHzでの同級生とのQSOだった。その同級生の自宅とは5~6km離れていたため、家の中からのハンディ機同士ではどうしても電波が届かず、北澤さんはモービルホイップを入手して窓の外に取り付け、なんとかQSOに成功したことを覚えている。なお、中学校の科学部にはアマチュア無線の社団局は無かったため、学校で運用する機会は無く、そのため、その頃はコンテストの「コ」の字も知らなかった。

中学卒業後は松本工業高等学校電気科に進学。自宅から学校までの通学時間が片道1時間半ほどかかるため、当初は部活動をする予定は無かったが、たまたま電気実験の実習担当だった垣原先生(JA0LDB)が、電気通信クラブ(JA0YAB)の顧問で、初めての授業で、「アマチュア無線の免許を持っている人は手を挙げて」と言われた。それに対し「工業高校の電気科だから何人かは居るだろう」と思い挙手したところ北澤さんだけだった。先生から「入部決定」と言われて、「半ば強制的に入部させられました」、と話す。

入部後はすぐ4月のオールJAコンテストに参加した。5、6人でマルチオペレーター部門(当時の社団A)へのエントリーだった。北澤さんは7MHz SSBを担当。これが北澤さんにとって初めてのHF帯の運用、かつコンテスト初体験だった。その後、高校時代はコンテストをメインに運用、特にJARL 4大コンテストは、フィールドデーも含めてほとんど出た。その他には文化祭での公開運用などを行った。学校に常設アンテナはあったが、普段のラグチューはあまりしなかったという。

高校卒業後は日本工業大学工学部電気電子工学科に進学。日本工業大学には社団局JA1YYEがあり、当時JA1YYEはパケット通信のFWD-NETのホストをやっていた。北澤さんもFWD-NETを利用していた関係から、JA1YYEに入部することになった。JA1YYEの先輩には、JG0AJF熊澤さんや、7N2UCT(現JA1DRT)高岩さんらがおり、北澤さんは先輩から大いに影響を受けたという。

当時、大学社団局はコンテストに熱心なクラブが多く、多くの部員を擁し、大規模な設備を持っている局にはまともに戦っても勝ち目が無かった。そのため、JA1YYEは大体5、6人で運用し、「比較的ハードルの低いローカルコンテストを中心にエントリーしました」と北澤さんは話す。

大学卒業後は長野県にUターン、電気工事などを行う会社で主に顧客PCのサポートやサーバー管理を経た後、無線機器を設計・製造する会社に入社した。北澤さんはアマチュア無線をやってきて良かったこととして、高周波関係の設計に携わる今の仕事に就けたことを挙げる。

一方、北澤さんは無線従事者の資格取得にも熱心に取り組んだ。まずはコンテストで得点を伸ばしたいと言う理由で、アマチュア無線技士の資格をステップアップ。電信に出てスコアを伸ばすために大学在学中に3アマを取得。大学時代は主にV/UHF要員だったので3アマでも不自由しなかった。

大学時代に個人コールでコンテストに参加する時は主に50MHz部門でエントリーしていた北澤さんだか、就職後も地元で同じ部門でコンテストに出始めたところ、50MHzでは相手が少なく思うように呼ばれなかった。「関東で50MHzに出るとコンスタントに呼ばれますが、地元で50MHzにエントリーするとそれが無くて物足りないのです」、と話す。その為、自然とHFマルチバンドに出るようになり、14MHz帯のマルチを確保する目的で2アマを取得。その後、自宅では難しいと思っていた1kW免許が職場で下ろせる目処がついたので1アマを取得した。

さらに、国内電信級を除く特殊無線技士は大学時代に取得していたので、1アマ取得後は、次のステップアップとして第二級陸上無線技術士を受検した。「この話をすると皆さん"冗談でしょ"と言われるのですが、実は試験科目の中で無線工学が苦手なんです。高校以来ずっと電気に関わってきた事もあり、"あ~明日試験だ、まぁ今までの知識と経験で何とかなるだろう"と思って受験して毎回玉砕。おかげで2アマ、1アマともそれぞれ10回以上受験しました。通信術はコンテストで鍛えられていた事もあり難なくクリアできたのですが、工学は知識と経験だけじゃダメでしたね。でも1アマ取得後に受験した2陸技は何故か1発合格だったのです。初回は工学基礎と法規の科目合格を目指していたので、その2科目しか勉強していなかったのですが...」と話す。


北澤さんが保有している各級の無線従事者免許証

2016年9月、北澤さんは職場の社屋内に自局の設置場所を変更し、出力1kWの変更申請を行った。「職場の会長がアマチュア無線をやっているため、アマチュア無線そのものへの理解が深く、個人局の移設に対する同意もしていただき非常に感謝しています」と話す。また職場のクラブ局もあえて送信装置を共用しない形で同時に変更申請を行い、同じ日に変更検査を受けて増力を行った。


アンテナは職場のクラブ局と共用

職場からの運用はもっぱらクラブコールでのコンテストエントリーがメインで、ときどきDXハンティングも行っているというが、最近では仕事が忙しくコンテストに出てもスポット参戦になってしまっている。北澤さんは、「私にとってコンテストの原点である、マルチオペレーター・マルチバンド部門に再び参戦したいですね。できれば大学当時のベストメンバーで...」、と将来の夢を話す。

最近、北澤さんは職場の自社製品をアマチュア無線に転用する事を計画している。「詳しくはヒミツですがJT65の様にQRPで長距離伝送できるハズです」と話す。また、自作品は極力小さく作る事を目標にしている。現在、CWキーイング、RTTY、リグコントロールができ、音源も入れてUSBケーブル1本でPCと接続でき、フリスクサイズの筐体に納めたインターフェースユニットなどを計画中である。


FB NEWS 2016年11月号のテクニカルコーナーで紹介されたAFアンプ
同じ回路を1回り小さいサイズ(1005)で制作(写真左)


フリスクサイズで作ったRTTY USBインターフェースユニット
(RTTYだけに対応したもの)

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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