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今月のハム

JH2CLV 望月辰巳さん

静岡市内の小高い山にリモートシャックを開設し、インターネットではなく無線LANで構築した回線を使用して遠隔運用を楽しんでいるJH2CLV望月さん。望月さんがアマチュア無線を知ったのは、小学2年の時(1962年)、同級生が書いた「ハムになりたい」という作文を読んだ時だった。翌1963年には、毎週日曜日の朝にローカルTV局が放映していた番組「ハローCQ」を見て、アマチュア無線の具体的な内容を知り、拍車が掛った。 

中学生になり、野球少年だったが中学1年の時(1967年)、自宅にあった2バンド5球スーパーのラジオでスーパーローカル局JA2M**の強力な電波(7MHz AM)を聴き「絶対にハムになる」と決めた。そしてSWL活動をスタート。JARLに入会しSWLナンバーをもらって受信に熱中する日々を送った。その頃にはラジオ作りにも熱中し、「毎月のようにラジオを作っては壊すことを繰り返していました」と話す。

すぐにアマチュア無線の免許を取りたかったが、当時、東海地方で国家試験が行われていたのは名古屋市だけだったため、望月さんが住んでいた清水市(現在の静岡市清水区)からは距離もあり、中学在学中に受験することは叶わなかった。

中学卒業後は清水工業高校(JA2YCH、現在の静岡県立科学技術高校)に入学した。一刻も早く免許が欲しかった望月さんは、10月期の国家試験まで待っていられず、高校1年の夏休みに養成課程講習会で電話級アマチュア無線技士を取得。学校の社団局からの運用を始めると同時に個人局用の無線機の製作にも取りかかった。開局申請も行い同年12月21日付でJH2CLVの発給を受けた。当初は自作した50MHz AM機で運用をスタートしたが、局免許が下りる前の10月期の国家試験で電信級も取得し、送受信セパレートのセットを自作して翌年5月には7/3.5MHzのSSB/CWにもQRVした。さらに望月さんは夏休みや冬休みにアルバイトをして密かに集めた材料を使い、HFオールバンドトランシーバーの製作を始めた。

高校3年の4月には、完成したオールバンドトランシーバーで運用を始めたが、「今思えば、12接点のロータリーSWウェハー7枚と段間シールド板を貫くベークライト棒と長ボルトを擁したバンドSWは、大した工具も無い時代に良く完成できたものです」、「また1kHz直読VFOの製作では、周波数直線性の確保や温度補償実験に明け暮れ、メーカー製に負けない特性を出していたと思います。お金は無く地方のパーツ店で買えるものは知れているのに、気力と時間がそれをカバーしていた様に思います」、と当時を思い出して望月さんは話す。

そのオールバンドトランシーバーはSSBハンドブック(CQ出版刊)にJA1ALX田村さんが書いた記事を参考にして製作したものだが、「実は、製作から42年後の2013年、田村さんとメール交換が実現し、オールバンドトランシーバー製作の裏話で盛り上がりました」と話す。

望月さんは開局から15年ほどはオール自作機器でオンエアした。メーカー製リグを使用するようになった後も、周辺機器の自作はずっと続けた。2001年9月に、過去の製作や実験の資料を素材にして、製作物や実験結果を紹介するホームページを立ち上げた。その後、2002年6月にはBBSも立ち上げた。その結果、「多くのアマチュア無線家と交流する様になり、新しいアマチュア無線の楽しみ方に突入した印象を持っています」と話す。


望月さんのホームページ

このホームページをきっかけに交流が始まり、国内では入手できない部品や資料を調達して送ってくれる友人が海外に何人かでき、個人輸入したコリンズの51S-1に欠品や非オリジナル部品が使われていると相談すると、二つ返事で探して送ってくれたこともあった。望月さんからは、現地で入手困難なコネクタを日本から送ったりして、お互いに助け合いながら自作を楽しめるようになっているという。

また、過去に144MHz用EMEアンプを製作した際、λ/4同調板を直線ではなく丸めて、その中でショートリングを回して同調を取る方式で行っていることをホームページで紹介したところ、世界中から励ましのメールが届いたが、一方では懐疑的とするメールや批判のメールが届いたこともあった。このアンプは最終的に1kW超の出力が得られ、ショートリング(バリL)による有用性を示すと、海外サイトではJH2CLV’s methodと紹介されるようになり、その後批判は無くなっていった。

望月さんは、かつてDXing中心に活動していた頃、特に10MHzバンドが解放された直後は、10MHzのモノバンド3エレビームを上げてWASを目指すなど、運用に熱中していた。しかし今では、時々10MHzにオンアエしてEU/W方面へビームを向ける程度になり、現役時代に転勤や退職、家業就業などで棚上げになっていた製作物や実験の方に熱が入っている。

還暦を1年過ぎた2016年、自力でやるには今しかないと思って決断し、まずは自己所有の茶畑とヒノキ林がある標高400m近い山頂へリモートシャックを設置した。たまたまそこにタワーの基礎を構築するのに使える灌漑用コンクリートタンクがあったのも後押しした。


山頂に構築したタワーとアンテナ群


タワーには富士山カメラも設置してある

「電気も電話も無い場所に設置した1kW局の安定運用にはそれなりの努力が必要です。すでに完成はしているものの、設備保守や電源系の運用性改善には常に努力しています。基礎のコンクリートだけは業者にお願いしましたが、タワーKT-22Rの組み上げやアンテナの設置は全て一人でやりました。平成元年に同じタワーを自宅に建てた時は、シングル滑車でOKだったのですが、今回はダブル滑車が必要となり、体力の低下を感じました」と話す。


完成した山頂のリモート設備と望月さん


ノイズ対策のため少し離した場所に設置した発電機の始動/停止も遠隔制御可能

また、数年前に望月さんは開局以来使用して、残っていた自作機の数々を、最初のラジオシャックだった自宅母屋の屋根裏部屋に集結させ、屋根裏シャックを構築した。ここにある機器は今でも動作するようにレストア、リぺアしてある。「時々ここに上がってきて座椅子に座り、瞑想にふけって元気を取り戻しています」と話す。


屋根裏シャック

望月さんは、「幼少のころからモノ作りが好きで、木工・竹工・プラモデルで培った感覚がそのままラジオの製作に引き継がれていきました。開局前から、自分の電波は自分で作る!をモットーに意気込んでおり、開局から15年ほどは全て自作でやっていたので、この自作感が会社(放送局・番組制作技術)勤めを始めてから、多くのシーンで役立つことになりました。来週までに双方向の無線カメラシステムを構築するとか、今では当たり前のリモコンカメラを作って動物を撮影するとか、暗視装置をTVカメラにドッキングするとか、何のストレスも無くやっていた気がします。おかげで僻地や海外へ出かける時は、機材が壊れたときに自力で何とかしようと、ICやLSIなどの自分の好きな電子部品を持参したものです」、と話す。

望月さんは、2019年7月で65歳になり、現在は奥様(JK2WBD)と自営業(ミカン栽培・養蜂)を営んでいる。転勤族だった50代までとは異なり、地元との関係も色濃くなった。「あと何年生きられるか分かりませんが、人生の先が見えだしていますので、ハム以外の事も意識した「無線と実験ライフを送りたいと考えています」と話す。


自宅の庭に設置したミツバチの巣箱

「また、ややハードウェアの匂いを感じさせる「無線と実験」に「地域貢献」や「社会貢献」的な要素を加味したハムライフを楽しみ、それをホームページかBBSまたはSNS(Facebook等)で発信できれば楽しいだろうなあと思っています。親の他界等で時間がとられて棚上げになっている懸案(ジェネカバ受信機、7F71Rプリセットチューンアンプ、LD-MOSアンプ、地域俯瞰ライブカメラなどの製作)も徐々に行っていきたいと考えています」、と話す。

そのほか、もちろんリモート運用のさらなる充実も計画に入れている。まずは、リモコン設備の完全なノイズ(発電機のインバータノイズ)対策。現状でも通常運用が行えるまでは対策できているが、さらなるノイズ軽減に努力している。次は運用のスマート化。例えば1つのソフトで制御から運用まですべての操作をできるようにすること。ファーストステップとしてリモートシャックの全ての状態(無線機、アンテナ、電源、発電機、燃料etc.)を統合して表示するソフトの開発を考えているという。

望月さんの自宅には、母屋とは別に小さな工房があり各種測定器を揃えて、常々ここで自作を楽しんでいる。この工房はローカル局との自作品談議にも使用している。「モノづくりや、その評価には測定器が必要です。大半のものはここで揃うと思いますので、アマチュアの皆さんに開放しております。ぜひ活用して欲しいと思います」、と話す。


工房の中での望月さん

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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